公平賃金仮説をたずねて

大部分の労働市場、そしてすべてのかなり重要な労働市場は、規則的である(=長期的、継続的な関係の上に成立している、という意味;引用者注)。さて、規則的雇用においては、単に効率という点からいっても、雇用者と被雇用者との双方が、両者の関係になにがしかの持続性を期待しうることが必要である。・・・雇用関係が満足のいくものでないかぎり、ないし少なくともそこにある程度の満足がないかぎり、そのような信頼関係は存在しえないであろう。したがって、効率のためには、賃金契約がどちらの側からも、だが特に労働者によって、公平(fair)だと感じられることが必要なのである。

公平とはいったい何なのであろうか。・・・必要なことは、第三者、ないし裁定者が一般的諸原則を適用して、公平な賃金を規定するということではない。必要なことは、労働者自身が自分は公平に遇されていると感じていることである。・・・Aは、(自分よりも価値があると自分が思わない)Bが自分よりもより高い賃金を得るのは不公平だ、と言う。しかし、より高い賃金を得ているBもまた、Aの賃金が自分の賃金よりも速く上がれば、それは不公平だと考えるかもしれない。Cは、もし彼の雇用者が大きな利益をあげたのに自分の賃金を上げてくれなければ、それは不公平だと感じる。しかし、もしCの雇用者がCの賃金を上げれば、(自分たちの雇用者がそのような大きな利益をあげてはいない)他の人びとは、それを不公平と考えるであろう。もし物価が上昇しているのに賃金がそれと同一比率で上昇しなければ、それは不公平だと感じられる。しかし、賃金が物価より速く上昇しても、一、二年前と同一の速さで上昇しなければ、これまた不公平と感じられる。・・・提起される公平性に対する諸要求のすべてを満足させるような賃金体系などというものは、まったく達成不可能なのである。いったん疑問がもたれだせば、いかなる賃金体系といえども、公平だなどということには決してならないであろう。・・・過去においてわれわれが、現にそうだったように、ともかくもなんとかやってきたのは、どのようにしてなのであろうか。それは、ただ単に賃金体系というものがこれまであまり疑問視されてこなかったからである。・・・そのような情況が起こるためには、賃金体系が十分に確立されており、その結果それが慣習的是認を得ていることが必要である。そうすれば、それは、期待されているようなものになる。そして(明らかに低水準の公平性ではあるけれども)期待されているようなものは、公平なのである。(『ケインズ経済学の危機』、p89〜91)