「『あの世』の経済学」

●Scott Gordon, “The Economics of the Afterlife”(Journal of Political Economy, Vol.88, No.1, February 1980, pp.213-214;こちらで全文閲覧可能)

ここのところ、経済学の分析ツールを(通常では経済学の守備範囲だとは思われていない)新たな分野にまで拡張・応用しようとする動きが活発だが、私の知る限りでは、神学(theology)の形而上学的な側面に経済学を応用した例はないようだ。この研究ノートでは、形而上学的神学における基本問題の一つを検討する。すなわち、あの世(死後の世界)の性質、あるいはもっとテクニカルな表現を使うと、天国の存在論(ontology of Heaven)の検討を通じて、経済学を神学の形而上学的な側面に応用することは可能だということを示す。

議論をはじめるにあたり、一つの前提を置くことにしよう。それは、天国には稀少性は存在しない、という前提である。「あらゆる対立は、稀少性から生ずる」ということはデイヴィッド・ヒュームも指摘しているところだが、そうだとすると、天国を正義や平和、相互愛etcといった性質を備えた世界として描く必要はないと言えるだろう。というのも、そういった性質は、「天国には稀少性が存在しない」という前提から導き出されるものだからである。稀少性なき世界に対して経済学を応用することなどできるのだろうかと訝る向きもおられようが、まさにポイントはそこにある。経済学の分析は、資源を効率的に配分する方法を説明するためだけではなく、仮に資源を効率的に配分する必要がないとした場合に天国にはどのような性質が備わっているはずであるかを発見するためにも利用できるのである。

神学者の多くは、天国の住人が「永遠の命」("everlasting life")を手に入れることになれば、天国には稀少性が存在しなくなる、と考えているようだ。本論の残りの部分で、「永遠の命」は天国に稀少性が存在しないための必要条件でも十分条件でもないことを示すことにしよう。

まずは、「永遠の命」ということで何を意味しているかを明らかにしておかねばなるまい。「永遠の命」を手に入れるということ、それ即ち、無限にわたって続くことが確実な時間軸の上で過ごすということ。そのように解釈すると、天国の住人に利用可能な時間は「無限の長さ」を持つということになる。その場合、「時間には稀少性が存在しないと言えるだろうか?」ということが問題になる。仮に天国の時間がこの世の時間と同じような性質を備えているとすれば、その答えは、「ノー」(言い換えると、やはり時間は稀少である)ということになろう。というのも、利用可能な時間が無限の長さを持っているとすると、天国の住人は、やりたいことなら何であれ、そのすべてを遅かれ早かれ(間隔をおいて)行うことは可能であっても、すべてを「同時に」行うことはできないからである(例えば、ハープを演奏しながら同時にプールで泳ぐことはできない)。まず最初に何をするかを選択しなければならない。つまり、天国の住人に利用可能な時間が無限の長さを持っていたとしても、時間は配分されねばならない*1 のである。それゆえ、「永遠の命」は天国に稀少性が存在しないための十分条件ではない*2 、ということになる。

天国に稀少性が存在しないためには、天国の時間がこの世の時間と性質を異にしている必要がある。ここで仮に、天国では、時間は無限の長さを持つだけではなく、「無限の幅(width)」も持つと想定することにしよう。ユークリッド幾何学における直線(長さはあっても幅はない)とは異なり、天国の時間軸は長さも幅も持ち合わせており、なおかつ、どちらの次元に関しても無限の広がりを持つ(長さも幅も無限)というわけである。時間が無限の長さを持つだけではなく無限の幅も持つとすれば、どの瞬間をとっても利用可能な時間は無限に存在することになる。それゆえ、行動(あるいは体験・経験)に対する時間上の制約は存在しないことになろう。行動に対する時間上の制約が存在しないということは、天国に稀少性が存在しないための条件の一つとなろう。

「無限の長さと無限の幅を持つ時間」という概念は、天国に稀少性が存在しないための条件の一つを定義づける上で十分なものだが、ところで、長さも幅もともに無限である必要はあるのだろうか? その答えは、明らかに「ノー」だろう。時間が無限の幅を持つとすれば、天国の住人は無限の(あるいは、自らが望むだけの)出来事を同時に(あるいは、一瞬のうちに)経験することが可能であろう。それゆえ、「無限の長さを持つ時間」という条件は、余計であり不必要でもある*3 、ということになろう。

結論をまとめよう。「天国には稀少性は存在しない」という前提を受け入れるとすれば、あの世での体験は、極めて密度が濃く(exquisitely intense)、はかなくも短いもの(fleetingly brief)ということになるだろう。この世に生きる大半の人々が天国での至福(bliss of Heaven)を体験することを強く拒む*4 理由は、「長さ」をその本質とするこの世の時間に慣れてしまっており、そのために天国の時間のあまりの短さに魅力を感じないためなのであろう。ただし、このように言えるのは、たった今経済学の力を借りて論理的に証明されたばかりのことを一般の人々が直感的にわかっているとすればの話ではある。

*1:訳注;A,B,C,D・・・といった一連の行動をどのタイミングで行うかを選択しなければらない

*2:訳注;天国の住人が「永遠の命」を手に入れることになるとすれば、天国には稀少性は存在しなくなる、・・・とは言えない

*3:訳注;天国の住人に利用可能な時間が無限の長さを持つ必要はない=天国の住人が「永遠の命」を手に入れる必要はない

*4:訳注;死にたくないと思う