強迫観念としての大不況


●J. Bradford DeLong,“The Shadow of the Great Depression and the Inflation of the 1970s”。


1970年代にアメリカ経済を苦しめた加速するインフレ(高率のインフレ率の持続)の背後に1930年代の大不況(the Great Depression)の影(政策決定の場において一つの桎梏と化した記憶)を垣間見ることができる。物価安定よりも失業率の抑制(“完全雇用”)を優先する政策決定者の態度―ニクソン大統領は失業率を高める恐れがあるインフレの抑制には否定的であり("control inflation without a rise of unemployment";アイゼンハワー前大統領は反対にインフレの加速を許しかねない(過度の)景気刺激策には否定的であり、ニクソンは1960年の自らの大統領選での敗北の責任を彼のそのような(インフレ抑制を容認した)態度に求めている(八つ当たりです))、アーサー・バーンズFRB議長はインフレ期待の持続が構造化された(とバーンズが考える)戦後世界において政策的にインフレ率を操作することはできないと考えた(あるいは懐疑的な態度を示した)―が中央銀行に対する信認(credibility)―物価の番人としての中央銀行に対する信頼―をそぐかたちとなり(物価安定へのコミットに失敗したわけです)、その結果(民間経済主体が高率のインフレ期待を抱くことになってしまったがために)インフレ率は高い水準に止まり続けることになったからである。


DeLongは1970年代にインフレの加速をもたらした原因(の候補)を3つ挙げている。

1.until the 1980s no influential policymakers-until Paul Volcker became Chairman of the Federal Reserve-placed a sufficiently high priority on stopping inflation(インフレの抑制に高いプライオリティをおく政策決定者が存在していなかった―1980年代になってポール・ヴォルカーがFRB議長となるまでは―)

2.bad cards coupled with bad luck made inflation in the 1970s worse than anyone expected it might be(1に不運(石油ショック等特定商品の急激な値上がりを引き起こした防ぎようのないサプライショック)が重なったため)

3.the shadow cast by the Great Depression(大不況の記憶が政策決定に歪みをもたらしたため)


2はおいといて(DeLongは、ある特定商品の急激な値上がりが消費者物価自体をも上昇させることを必然と考えるのは相対価格と絶対価格を混同したものである、というフリードマンの議論(中国デフレ説を否定する議論として持ち出されるアレです)などをあげて1970年代の長期にわたってインフレの加速を招いた要因としてはサプライショックの影響はそれほど大きなものではないとしている)、1の背後には3が控えている。つまりは大不況の記憶によって政策決定者がインフレの抑制をそれほど重要視しなくなった(失業者の救済(失業率を低く抑える)のためにはインフレの招来も辞さなくなった(追記)ちょっと不正確。失業率を低下させることに躍起となったばかりにインフレ抑制に対する注意(関心)が弱まった。くらいの感じが適当か)のであり、根本的な原因は3であるということになる。

Why did the political consensus to reduce inflation not exist until the end of the 1970s? And why did makers of economic policy during the 1960s watch with little concern as inflation crept upward, and as expectations of rising rates of price inflation became embedded in labor contracts and firm operating procedures?

The source of these attitudes and frames of mind is, in a strong sense, the most profound cause of the inflation of the 1970s. And that source is the shadow cast by the Great Depression.


4人に1人が失業するという事態(遊休設備がそこら中にあふれかえっている事態)を迎えるや、経済は趨勢的な成長線(潜在GDP成長率)の周りを変動するものだという考え(経済は、不況→好況→不況→好況・・・と趨勢的な成長線に沿って(何もしなくとも)サイクルを描く)はもはや受け入れられるものではなくなり、経済はいつまでも(政策的な処置に乗りださなければ)潜在GDP以下の水準に居座り続けることがあると当然視されるようになった。デフレギャップを埋めることが財政金融政策の役割であり、可能な限り失業率を低く抑え資源の有効活用を実現せねばならない。

不況を前にしては座して待つべきではなく、総需要喚起策によって積極的にデフレギャップの縮小に取り組むべきではある。が、果たしてデフレギャップの水準はどれほどのものなのか。実現可能な最小の失業率水準は何パーセントなのか。大不況という悪夢から逃れるためにはそんな問いにかかずらっている暇はない。失業率を低めること。限りなく0%に近い失業率(この場合は4%以下の失業率)を実現すること。失業者の救済という正義を実現するためには(または大不況という不幸を二度と繰り返さないためにも)景気を刺激し続けねばならず、そうすることによって(コストもかけずに)失業率は下がり続けていくことだろう。悪夢から覚めるためには楽観的になる(失業率が低下していっても(4%以下になっても)インフレ率はそれほど上昇しないはずだ←デフレギャップを過大に推計しているとも言える)しかない(Neither economic theory nor economic history gave guidance, so there was a strong tendency to rely on hope and optimism.;人間は自信のない時、希望的観測や楽観的な予測に基づいて行動するものだ)。

Only after the experiences of the 1970s were policymakers persuaded that the minimum sustainable rate of unemployment attainable by macroeconomic policy was relatively high, and that the costs-at least the political costs-of even moderately high one-digit inflation were high as well.

Only after the experiences of the 1970s were policymakers persuaded that the flaws and frictions in American labor markets made it unwise to try to use stimulative macroeconomic policies to push the unemployment rate down to a very low level and to hold it there.


現実に平手打ちされて正気に戻る。フリーランチは存在しない。失業率を限界以上に(自然失業率以下にといってもよい)低めようとすればインフレの加速を伴う。政策によって実現可能な最小の失業率は予想以上に高いものであり(自然失業率は想定していたよりも高い)、インフレ(1桁台のインフレ率でさえも)のコスト(庶民?からの反発など)は思った以上に大きい。(追記)自然失業率の水準自体を引き下げようとするならば、財政金融政策ではなく労働市場構造改革によらねばならない(政策の割り当てに留意する必要(総需要喚起策の限界を知る必要)がある)。1970年代にインフレの加速という代価を払うことによってアメリカの政策決定者らが気づかされたことである。

大不況の経験が強迫観念となって失業率の抑制が至上課題となる。現実に大きな犠牲を蒙ることによってしか誤った観念(行き過ぎた考え)の間違いに気づくことはできない。観念なるものの厄介さ(加えて中庸を得ることの難しさ)を改めて思い知らされるものだ。しかしながら、DeLongの次の言葉には素直には納得できないところがある。

Thus there is a strong sense that something like the inflation of the 1970s was nearly inevitable. Had macroeconomic policy been less stimulative in the 1960s, and had inflation been lower at the end of that decade, there still would have been calls for increasing efforts to reduce unemployment in the 1970s.


もし1960年代のマクロ政策が現実よりも景気刺激的でなかったとしても(1960年代の終わりにおけるインフレ率がヨリ低かったとしても)同じような1970年代を迎えたことだろう。失業率の引き下げを要求する声は鳴り止まず限度を超えた総需要喚起策が採られたに違いない。我々が体験した1970年代は不可避的なものなのである・・・。説得によって観念の誤りをただすことはできない(現実に痛い目見ないと間違いに気づかない)、と言っているも同然のような気が・・・(追記;観念の呪縛から逃れることはなかなかに難しいものだということならば納得)。う〜ん。

4つのマネタリズム


●J. Bradford DeLong、“The Triumph of Monetarism?


同じくDeLongの手になる“The Monetarist Counterrevolution: An Attempt to Clarify Some Issues in the History of Economic Thought”(ニューケインジアン? ニュークラシカル(あるいはマネタリスト)? 戦前の素朴な貨幣数量説論者や清算主義者(Liquidationist)から見れば同類だよ、というような話)を読むため(というかこっちを先に読んだんだが)の下準備。学習帳らしい話題かと。


マネタリズムと一口に言っても、その立場から主張されていることは時代により人により微妙に違う。マネタリズムの歴史的変遷をたどってみると、その議論展開の特徴に基づいてマネタリズムを大まかに4つ(の時代)に分けることができるのではないか、とDeLongは語る。以下DeLongによるマネタリズムの4分類。


1.First Monetarism

代表的な論者はアーヴィング・フィッシャーや『貨幣改革論』以前のケインズ(「In the long run, we are all dead」というケインズの言葉はFirst Monetarismからの決別を象徴するものであった)、ロビンズ、シュンペーターなど。(ロビンズ、シュンペーターがFirst Monetarismの一員だったというよりは彼らの手によってFirst Monetarismがあたかも政策の無効性を主張する議論であるかのようにカリカチュアされた、とした方が適当ですね)。
物価や利子率の決定因、景気変動を生み出す要因としてマネーストックに着目し、貨幣数量説を物価水準やインフレ率、利子率の数量的な分析や予測の道具として初めて明示的に利用したのはフィッシャーである。精緻な経済分析(analysis)は存在するものの全体として理論(theory)体系は未発達であった(フィッシャーのデットデフレ理論なんかもあるが)。特に後二者に見られる特徴であるが(素朴な貨幣数量説の信奉者―貨幣量が二倍になれば物価水準が二倍になるだけで実体経済には何の変化も生じない―も含まれるかもしれない)、不況からの脱却を目的とする財政金融政策の有効性に懐疑的な見方を示す(monetary and fiscal policies were bound to be ineffective--counterproductive in fact--in fighting recessions and depressions because they could not create true prosperity, but only a false prosperity that would contain the seeds of a still longer and deeper future depression.;“The Monetarist Counterrevolution〜”において(清算主義者としてのシュンペーターについて論じている箇所で)詳細に取り上げられているが、総需要喚起策は実体経済に何の効果も及ぼさないと考えているわけではなく、むしろ効きすぎる結果として将来の経済発展(企業家によるイノベーション)を阻害するために総需要刺激策に否定的な見解を有する。「空景気」を無理やり生み出す総需要喚起策は根本的な処方箋ではない!!)。その結果、First Monetarismは政策無効を支持する議論として受け止められるに至る(フリードマンにすればこの見方はFirst Monetarismを“atrophied and rigid caricature”したものとなる。アービング・フィッシャーはこの意味でのFirst Monetaristではないということになりますかね)。


2.Old Chicago Monetarism

代表的な論者はViner, Simons, and Knight。いわゆるChicago School oral traditionのこと。

(1)景気動向(好況/不況)や物価動向(インフレ/デフレ)が経済主体の貨幣保有インセンティブに影響を与える(貨幣保有機会費用が変化すると言い換えてもよい)結果として貨幣の流通速度は一定にはならず(=変化しやすい)、(2)預金準備率や現金・預金比率は変化しやすく(整備された預金保険制度を伴わない準備預金制度下においては、預金返済の確実性の程度が劣るためにちょっとしたきっかけで預金保有者による取り付け騒ぎが引き起こされる可能性が高く、取り付けを恐れる銀行の行動は預金準備率を、預金の安全性に疑念を持つ預金保有者の現金選好は現金・預金比率を大きく変動させることになる)、そのため貨幣乗数の値も予測困難なものとなるためにマネーサプライを思うままにコントロールすることは難しい、との認識を有する。(Old Chicago Monetarism (a) did not believe that the velocity of money was stable, and (b) did not believe that control of the money supply was straightforward and easy.)。また、大不況(Great Depression)期にはデフレ(あるいは不況)を放置する政策当局を批判し、積極的な金融緩和や財政赤字の拡大も辞さない大幅な政府支出増により不況がもたらす痛みを緩和すべきと政策当局に訴えた実績があり(この点についてはR.E.パーカー著『大恐慌を見た経済学者11人はどう生きたか』フリードマンが触れていたと記憶)、この点は(atrophied and rigid caricatureされた)First Monetarismとの大きな違い(Old Chicago Manetaristは財政金融政策は不況対策として有効であり、また実施すべきであると考えていたため)と言える(先に挙げた二つの特徴((1)と(2))は素朴な貨幣数量説への疑問を呈しているわけで、この点も違いと言えるかもしれない)。

(おまけ)パティンキンやハリー・ジョンソンによればChicago School oral traditionなんてものは存在しない、フリードマンの創作に過ぎないということになる(In Patinkin and Johnson's view, Old Chicago Monetarism was a retrospective construction by Milton Friedman (1956). In their view, Friedman used "Keynesian" tools and insights to provide a retrospective post-hoc theoretical justification for policy recommendations that had little explicit theoretical base at the time, and to construct for himself some intellectual antecedents.)。手元にあるジョンソン著『ケインジアン-マネタリスト論争』にはこう書いてある。

・・・一つの伝説を作り出すことでした。すなわち、ケインズ派独裁の暗黒時代に少数の先駆者のグループが存在し、貨幣数量説が根本的事実を伝えるものとしてシカゴ大学における口伝えの奥義として守ってきたというものです。・・・シカゴ学派は、次のような伝説を作り上げました。すなわち、ミッドウェイ(シカゴ市内にあるシカゴ大学の所在地)にある秘密の神社には孤高の光が燃え、光を求めた信者たちをよび集め、おびやかされることなく真実が大衆に明示される日が来るのを待つようにはげましつづけた。そしてそこでともされたローソクは、その光が遠く広くひろがり、古い宗教からの改宗者をひきつけるチャンスが到来したときにわざわざ作られたものでした。結局、この伝説は根拠がなく後から作られたものにすぎませんでした。(p168〜170)


3.Classic Monetarism

代表的な論者はFriedman、Brunner、Meltzer、 Cagan・・・etc。
多くの(現在においても)有益な研究成果―ハイパーインフレ下では貨幣需要関数は極めて安定的なものとなる、マクロ政策の限界−ラグや政策効果の不確実性−についての認識、ルール型政策の重要性(←ファインチューニングの弊害(=政策実施のタイミングの誤りやら経済の現状分析の誤りやら)を避けるための手段としてのルール)、フリードマン=シュワルツによる大恐慌研究などなど―を生み出しており、ニューケインジアン陣営においてもClassic Monetarismの研究結果は重宝されている(あるいは確かなものとして受容されている)。本来のマネタリズムと言うべきか。

Classic Monetarismには、①Old Chicago Monetarismによって把握されていたマクロ経済の不安定性を生み出す根源−変化する貨幣の流通速度/不安定な貨幣乗数−の除去を目指して貨幣・金融制度の改革を提言する動きと、②リバタリアン的な政治思想へと合流する動き、が複雑に絡み合っていた。
①の流れは、民間の銀行に100%の預金準備率を課すことにより貨幣乗数を安定的なものにしよう(そしてマネーサプライの制御可能性(controllability)を高めよう)との試み(預金準備率が100%であれば民間部門による預金準備率の操作の余地はなくなり、また預金保有者も自分の預金が完全に保全されるため現金・預金間の資産選択が一時の動揺(=風評)により左右されることはなくなる=現金・預金比率の安定化)や名目貨幣成長率を一定に保つ(=k%ルールってやつです)ことでインフレやデフレによって貨幣ストック成長率が変動することを防ぎ(=受動的金融政策からの離脱)、もって貨幣乗数を安定化させよう(そしてマクロ経済の変動を安定化させよう)との提言を生む。
②の流れは、k%ルールを選挙時における過度の金融緩和(=政治的景気循環)の可能性を絶ち(あるいは特定の政党ないし利益集団を益するために金融政策が利用されることを防ぎ)、中央銀行の裁量の幅を狭める手段として、つまりは政府の権力を縮小させる手段として看做すことにより、政治思想的な観点からのk%ルールの正当化根拠となった(The monetarist policy recommendations of a stable growth rate for nominal money and a constrained, automatic central bank were then seen as having an added bonus: they were tools to advance the libertarian goal of the shrinkage of the state.)。

Classic Monetarismはフリードマンフェルプスによる予測―短期的なフィリップス曲線の妥当性への疑問(これまでの安定した(失業率-インフレ率間の)関係の崩壊を予想)―が現実のものとなったこともあって、1970年代の経済学界において最も大きな影響力を持つことになる。


4.Political Monetarism

1970〜80年代のアメリカ社会で実際に大きな影響力を有したマネタリズム。世俗化されたマネタリズムとでも表現すべきか。
Political Monetarismは条件をつけることなく貨幣の流通速度は安定していると断言し(Old Chicago/Classic Monetarismによる観察はまったく無視されている)、貨幣制度の改革がなくともマネーサプライが完全にコントロールできるかのように語る(フリードマンが貨幣制度改革の必要性をあれほど強く訴えた理由も無視されるわけです)。貨幣の流通速度が安定しており、中央銀行がマネーサプライを完全に管理できるなら将来の物価動向や名目GDP水準に関する予測は非常に容易なことになります。マネーサプライだけを見てれば大丈夫ですから。不況やインフレ率の過度の変動をもたらす元凶も唯一つ。適切なマネーサプライ成長率の維持に失敗した中央銀行(経済の良し悪しは中央銀行によるマネーサプライ成長率(=この立場においては中央銀行が自由にその値を決めることができると想定される)だけによって決定されるわけです)(Everything that went wrong in the macroeconomy had a single, simple cause: the central bank had failed to make the money supply grow at the appropriate rate.)。単純明快ですな〜(Money mattersをもじればOnly money mattersということになりますか。 any policy that does not affect "the quantity of money and its rate of growth" simply cannot "have a significant impact on the economy.")。

そのわかり易さも手伝って(スタグフレーションという事態を説明できずにいたオールドケインジアンの失態もあって)、マネタリズムの教義は経済学の世界のみならず一般大衆の中にまで広く受容されるようになった。政策の場においてもFRBのヴォルカー議長の主導によって金融政策の操作変数(あるいは中間目標)が金利からマネタリーベース(マネーサプライ)という量的な指標へと変更されることになる(=新金融調節方式(79年10月;非借入準備残高が操作変数に 82年10月;連銀貸出残高が操作変数に))。The Triumph of Monetarismは誰の目にも明らかだった。


マネタリズムにとって不幸であったことは、Political Monetarismがマネタリズム一般と同一視されたことである。というのも、1980、90年代には貨幣の流通速度が大きく変動し、マネーサプライのコントロールが予想以上に困難である(=マネタリーベースとマネーサプライの関係が不安定である)ことが判明したからである。一般大衆から“Monetarism”として認知されていたPolitical Monetarismの主張が現実と大きく食い違うことにより、Political Monetarismだけではなく“Monetarism”までもがその信用を大きく傷つけられることになってしまう。わかりやすさあるいは国民各層からの支持獲得を追求した代価として失ったものはあまりにも大きかった・・・(1980年代に貨幣の流通速度は不安定な動きを示したが、Old Chicago/Classic Monetaristならばインフレ率の急速な下落が資産保有機会費用に大きな影響を及ぼすことにより貨幣の流通速度が不安定になることを予測しえたであろうに・・・)。

These(特にClassic Monetarismが有する;引用者)insights survive, albeit under a different name than "Monetarism." Perhaps the extent to which they are simply part of the air that modern macroeconomists today believe is a good index of their intellectual hegemony.


Political Monetarismの失墜とともにマネタリズムの名も人々の記憶から忘れ去られることになる。マネタリズムの歴史的使命は終わった・・・。

という悲しい結末ではなくて、マネタリズムの伝統は現在のマクロ経済学の基底に脈々と息づいているのであり、死に絶えたわけでは決してない。マネタリズムの名を目にする機会が減ったのはその存在が忘れられたためではなく、当たり前のこと過ぎて(空気のような存在と化したために)見えにくくなったため、浸透しすぎてその存在が確かめにくくなったためである。マネタリズムの、あるいはClassic Monetarismの(もっと限定してフリードマンの、といってもよい)生命はニュークラシカルにとどまらずニューケインジアンの中にもしっかりと根付いている。というのが冒頭にあげたDeLongのもう一つの記事“The Monetarist Counterrevolution〜”の主題の一つ。

我々は皆、ケインジアン=マネタリストである


●J. Bradford DeLong、“The Monetarist Counterrevolution: An Attempt to Clarify Some Issues in the History of Economic Thought”。

Much of the history of macroeconomic thought is often taught as the rise and fall of alternative schools. Monetarists tend to write of the rise and fall of Keynesian economics--its rise during the Great Depression, and its fall in the 1970s under the pressure of stagflation and the theoretical critiques of Friedman, Phelps, Lucas, Sargent, and Barro. They tend to see this as the rise "interventionism" and then its decline and replacement by a more hands-off view that holds that monetary policy should be "neutral." Keynesians write of the rise and fall of monetarism--its rise during the monetarist counterrevolution, its fall as the instability of velocity and the money multiplier became clear, and its replacement by the modern "new Keynesian" paradigm.

ケインジアン/マネタリストの別にかかわらず、マクロ経済学の発展史を代替的な学派の栄枯盛衰の歴史として叙述する(=マネタリストであればケインジアンの隆盛と凋落に、ケインジアンであればマネタリストの隆盛と凋落に焦点を当てる)ことが一般的な慣わしとなっている。マネタリストに属する学者であれば、大不況(Great Depression)を契機としてマクロ経済学における支配的な立場を確立したケインジアンが1970年代に現実(=スタグフレーション)と理論の両面からの攻撃に晒され、あえなく没落していった姿を強調し、マクロ経済学の歴史を(ケインジアンの盛衰に歩を合わせるかたちでの)干渉(介入)主義的思考(=政府の市場に対する介入を容認する立場)の高まりと(マネタリスト反革命の結果としての)その衰退(加えてより自由主義的(市場志向的)な政策思考の登場)の歴史として描写する。一方ケインジアンに属する学者ならば、マクロ経済学の歴史をマネタリズムの盛衰の歴史として描写し―マネタリスト反革命の結果として経済学界にとどまらず一般社会においても確固たる地位を築いたかに見えるマネタリズムも貨幣の流通速度と貨幣乗数の不安定性が明らかになることで主流の座から滑り落ちてゆく(=“Political Monetarism”の敗北。こちらも参照していただければ)―、希望溢れる筆致でもってマクロ経済学の将来(=マネタリズムの没落に平行してのニューケインジアンの台頭(=主流派としてのニューケインジアン))を予期することになる。マネタリスト/ケインジアンともに、互いの考えは完全に相容れないものであり、他方の隆盛は一方の没落を結果することを当然のことと考えている。マネタリストケインジアンが同意することなどあり得ない、というわけである。


ケインジアン(正確にはニューケインジアン)はマネタリストであり、同時にマネタリストケインジアンである。DeLongはこう主張することで上記のマクロ経済学思想史の見方(=マネタリスト/ケインイジアンの相克の歴史)に異議を唱える。ケインジアンマネタリストであるとは一体どういう意味か?


DeLongは(種々雑多な考えをその中に含む)ニューケインジアンが最低限共有するであろう5つのポイント(経済分析の態度)をあげる。

1. 雇用と生産の変動を理解するためには名目(nominal)所得と名目支出に対するショックが実質(real)支出の変化と物価水準の変化との間にどのように分解されるか(その過程)を見定めることが重要な鍵となる

2. 通常の経済状況では、景気安定化の手段(tool for stabilization)としては財政政策よりも金融政策のほうが有効である

3. 景気の変動(GDPの変動)は長期的なトレンドを中心にその周りを変動(循環)するものとして(トレンド線に沿った動きとして)捉えることが適当である―潜在GDP水準以下の動き(トレンド線を下回り続けるもの)として見るよりは―

4. マクロ安定化政策を分析する態度としては、個々別々の政策対応を要する経済状況に密着してマクロ安定化政策の是々非々を論ずるのではなく、政策ルールが経済に与える影響(=政策ルールの持つ意味の解明)という観点からマクロ政策の是非を論ずることが望ましい

5. マクロ安定化政策の限界を弁える必要がある(=マクロ政策は万能ではない);財政政策は効果が現れるまで(あるいは実施されるまで)に長い時間を要し、またその政策効果も小さい(=小さい乗数)という点、金融政策は時間的なラグと変数間のラグ(例えばマネーサプライと物価の関係が不安定になったり)の存在によりその政策効果が不確実であるという点に留意すべきである

この5つのポイントは、実のところフリードマンがその昔主張していた論点と軌を一にしている。

The importance of analyzing policy in an explicit, stochastic context and the limits on stabilization policy that result comes from Friedman (1953a). The importance of thinking not just about what policy would be best in response to this particular shock but what policy rule would be best in general--and would be robust to economists' errors in understanding the structure of the economy and policy makers' errors in implementing policy--comes from Friedman (1960). The proposition that the most policy can aim for is stabilization rather than gap-closing was the principal message of Friedman (1968). We recognize the power of monetary policy as a result of the lines of research that developed from Friedman and Schwartz (1963) and Friedman and Meiselman (1963). And a large chunk of the way that New Keynesians think about aggregate supply saw its development in Friedman’s discussions in Friedman (1970) and Friedman (1971a).

マクロ政策を裁量的な政策手段としての観点からではなくルールとしての観点から捉え直すべきであるという考え、マクロ政策をGDPギャップを埋めるための手段としてではなく景気変動を均す安定化政策としてみなすべきであるという主張。フリードマン=シュワルツによる大恐慌研究により明らかになった金融政策のインパクトの強さ・・・。こうしてフリードマンの過去の議論(の一部)を振り返ってみれば、ニューケインジアンフリードマンの(そしてClassic Monetarismの)直系の子孫であるといっても過言ではないのではないか。二者間の違いは一体どこにあるというのだろうか。フリードマンの思考を継承し発展させたニューケインジアンフリードマンという骨格に肉付けをしてゆくニューケインジアン、という図式には何の違和感もない。ケインジアンは実は気付かぬところでマネタリストでもあったわけである。

Thus a look back at the intellectual battle lines between "Keynesians" and "monetarists" in the 1960s cannot help but be followed by the recognition that perhaps "new Keynesian" economics is misnamed. We may not all be Keynesians now, but the influence of "monetarism" on how we all think about macroeconomics today has been deep, pervasive, and subtle.


ではマネタリストケインジアンであるという言辞は何を意味しているのだろうか?


マネタリズムケインズ経済学との違いを際立たせるために、マクロ経済学におけるレッセフェールの復興という使命・大義を背負って登場した。政府がなすべきことは金融政策を景気に対して“中立的”な状況に保つことだけであり、政府はむやみやたらと市場に口出しすべきではない。自由な市場競争の確保と中立的な金融政策運営の下においてでも(こそ?)マクロ経済の安定は実現可能なのである(ファインチューニング(=裁量的な政策運営)こそが景気変動の振幅を大きくし景気を不安定化させる一因となっているともいえる)。このように主張するマネタリズムと政府の経済介入に積極的な態度を示すケインジアンの間には大きな溝が存在する。・・・・ように見えるが。

The critique of monetary policy during the Great Depression found in Friedman and Schwartz (1963) is precisely that the Federal Reserve did not do enough to stimulate the economy during the Great Depression. It injected reserves into the banking system, yes, but it did not inject enough reserves to counteract the decline in the money multiplier that took place between 1929 and 1933 that reduced the money stock and starved the economy of liquidity.

And what Friedman and Schwartz (1963) would call a "neutral" hands-off monetary policy during the Great Depression--one that kept the nominal money stock fixed--would have been condemned by pre-World War II over-investment theorists as extraordinarily interventionist. Indeed, it would have been. Between 1929 and 1933 the Federal Reserve raised the monetary base by 15% while the nominal money stock shrunk by a third. The position of Friedman and Schwartz (1963) is that the Federal Reserve should have injected reserves into the banking system much, much faster. Sometimes to be "in neutral" requires that you push the pedal through the floor.

比較の対象をケインジアン/マネタリストの二者間に限定するのではなく、もう少し視野を広く取ってみると、例えばpre-Keynesian business cycle theoryも比較対象に入れて考えてみるならば、ケインジアン/マネタリストの間の違いは些細なものに見えてくる。大恐慌期当時FRBが採用した金融政策に対するフリードマン=シュワルツによる批判、すなわち、貨幣乗数の下落(銀行の破産が続発することで銀行制度への信認が減退し、大量の預金引き出しが生じた)を相殺するだけの十分なマネタリーベースを経済に注入することでマネーサプライの縮小を食い止めるべきであったにもかかわらず、実際には貨幣乗数の下落を相殺するに十分なだけのマネタリーベースが供給されることはなかった(マネタリーベースの供給量自体は以前よりも増加したけれども)、との批判は、pre-Keynesian business cycle theoryからしてみればあまりにも介入主義的な発想であり、彼らの目にはケインジアンマネタリストの姿がダブって見えることだろう。pre-Keynesian business cycle theoryの観点からすると、15%の伸び率でマネタリーベースの供給量を増加させる政策当局の行動でさえもが好ましからざるもの(=清算主義者の立場)あるいは無駄であり(=素朴な貨幣数量説論者の立場)、更なるマネタリーベースの供給を要求するフリードマン=シュワルツの主張は彼らには行き過ぎた金融緩和であると見做されることであろう。“中立的”な金融政策−マネーサプライの水準を維持すべき(であった)というフリードマン=シュワルツの主張は中立的な金融政策と言い得るであろう−は、時と場合によっては政府による積極的な経済介入を意味することがあるわけである。

They(=Monetarist;引用者) are Keynesians in the sense that they have the same profound and deep distrust in the laissez-faire market economy's ability to deliver macroeconomic stability. Moreover, they share the confidence John Maynard Keynes had that limited and strategic government interventions and policies could produce macroeconomic stability while still leaving enormous space for the operation of the market.

Keynes saw the market economy as having two great flaws: first, that demand for investment was extraordinarily and pointlessly volatile as business leaders and investors attempted the hopeless task of trying to pierce the veil of time and ignorance, and, second, that the fluctuations in the wage level that classical economic theory relied on to bring the economy back into balance after such an investment fluctuation either did not work at all or worked too slowly to be relevant for economic policy. (No, I am not going to be drawn into the debate about "unemployment disequilibrium.") But if these problems could be fixed, Keynes believed, then the standard market-oriented toolkit of economists was worthwhile and relevant once more.

And this is exactly Friedman's position. The tools used are a little different--rather than Keynes's focus on investment plus government spending, Friedman focuses on the banking system and the money stock. But in each case the vision is one of powerful and strategic but focused and limited government intervention and control of a narrow section of the economy, in the hope that the merits of laissez-faire can flourish in the rest of the economy.

自由な市場競争の余地を十分に確保した上で、市場に任せておいただけでは解決不能な問題(市場の失敗あるいは欠陥)―ケインズであれば民間の設備投資の不安定性や賃金の硬直性、フリードマンであれば貨幣乗数の不安定性を生む現行の銀行制度―には限定的で戦略的な政府介入によって対処する。
マクロ経済の安定は市場と政府の相互補完的な協調関係によって実現可能となる。
これこそがケインズフリードマンの間(加えてケインジアンマネタリストの間)に通奏低音のように流れている共通の土台(経済の見方)である−マネタリストレッセフェールの信奉者、という先入観(マネタリスト自身が積極的に流布したものかもしれないが)によって見えにくくなっている両者間のコンセンサスである−。マネタリスト=完全なレッセフェールの主導者では決してないのである(“中立的”という言葉に惑わされてはならない。加えてフリードマンの金融システム改革の提言や大恐慌期のFRB批判を思い起こす必要がある)。


フリードマンの影を引きずるニューケインジアン・・・。
程度の差はあれ(ケインジアンに比べればヨリ消極的だろうが)政府の市場介入を容認するマネタリスト・・・

マネタリスト的なケインジアンケインジアン的なマネタリスト・・・。

我々は皆、ケインジアンであると同時にマネタリストでもある、というわけだ。

予測と理論の意外なつながり


●Giovanni Pavanelli、“The Great Depression in Irving Fisher's Thought”(pdf)。

学界の賢人の中で最も著名で、また同時に最も惜しまれるのは、イェール大学のアーヴィング・フィッシャーであった。前に述べたように彼は当時の最も革新的な経済学者だったが、彼自身が市場に深くかかわり過ぎていた。彼もまた、人々が経験しつつある幸運に最も良く奉仕するものなら何でも信じるという基本的な投機的衝動に負けてしまった。1929年の秋、彼は「株価は永久的に高い高原状態と見てもよさそうな水準に達した」と述べた。この結論は広く報道され、この発言によって彼は永続的な名声を得た。(ガルブレイス『バブルの物語』、p111〜112)


アーヴィング・フィッシャーについて語られるときに必ずといってよいほど持ち出されるエピソードは1929年10月29日の“暗黒の木曜日”である。29年当時の株価動向に対する“The refluent wave of trading has left prices of securities, and especially of common stocks, on a shelf where they will remain permanently higher than in past years”、“Stock prices are not too high and Wall Street will not experience anything in the nature of a crash”という楽観的なフィッシャーの見通しは結果的に大ハズレであり、“暗黒の木曜日”を境にフィッシャーは財産ともども(株に資産の大半を投資していた)学者としての社会的な信用を失うこととなる。学問とビジネスは別物である(あるいは一流の経済学者であってもビジネスで成功するとは限らない)ということを知らしめる格好の事例として言及されるのが通例でしょうか。


Giovanni Pavanelliの論文で興味深い点は、この外れた予測とデット・デフレーションの理論のあいだのつながり(接点)を捉えている点である。そもそもフィッシャーが株価水準に対して強気な見方を示したのは、「人々が経験しつつある幸運に最も良く奉仕するものなら何でも信じるという基本的な投機的衝動に負けてしまった」わけでは必ずしもなく、それなりの理論的根拠が存在していた。

Yet Fisher’s forecasts were neither naive nor totally unfounded. In brief, he held that share prices incorporated the present value of expected dividends; more generally,the stock market reflected expectations on companies’ future performance and that of the economy as a whole. In Fisher’s view, immediately after the First World War the industrialised countries, and the United States in particular, had experienced a great expansion in scientific and technological research and its systematic application to manufacturing. American industry had thus greatly increased its productivity and was able to develop and market new consumer goods (the automobile, the radio, the telephone).Furthermore, efficiency gains had been obtained thanks to better use of productive factors and the improved living conditions of the working class. There were,herefore, expectations of considerable increases in production and profits.


株価は(期待)配当流列の割引現在価値であり、将来の高い配当期待は現在の株価を上昇させることになる。第一次世界大戦後の科学技術の発展とその成果のビジネスへの応用が生産性の向上や新市場の開拓(新製品の開発)を推し進めた結果として、今後アメリカ経済(とアメリカ企業)は大きな収益(利潤)を獲得する機会に見舞われることだろう。expectations of considerable increases in production and profitsに基づく株価上昇はファンダメンタルズに基づいた株価上昇なのであり、それ故現在(1929年)の株価水準は正常で健康的なものといえる。


フィッシャーのデットデフレ理論は二つの要因の相互作用に基づいて議論を展開する。

he began to devise a new theory of “great depressions”, based on the interaction of two factors: i) an initial situation of over-indebtedness; ii) a dynamic process of price reduction.

over-indebtedness(過剰な負債を背負うこと)は経済主体の不合理な行動の結果では必ずしもなく、技術進歩や発明によって切り開かれた収益機会を前にした企業家(資金不足主体といってもよい)の合理的な反応の結果である(it could be explained as a rational response to the profit opportunities created by “technological improvements” and “inventions”)。

As noted, in the twenties the American economy was characterised by an investment boom, induced by the spread of technological innovations in manufacturing; this encouraged many firms to borrow heavily in expectations of higher profits. This process had also involved farming, stimulated by the sharply rising demand for food. Finally, the stock market boom had been accompanied and fueled by the growing indebtedness of financial operators. The Wall Street crash was the detonator, triggering the downward spiral predicted by debt deflation theory.

20年代アメリカでは製造業部門における技術刷新により投資ブームが引き起こされ、高率の将来収益を当てにしてアメリカ企業の多くは多額の借り入れを行った。株式市場のブームを支えた投資家の多くもその資金を借金で賄っており、当時のアメリカ経済はover-indebtednessの性格を濃くしていた。


フィッシャーが29年当時の株価動向に楽観的であった理由は科学技術の発展により多くの将来収益がもたらされるであろうと予想したためであった。当時のアメリカ企業はthe spread of technological innovationsをビジネスに結びつけるために(そして将来のhigher profitsを期待して)積極的に研究開発・設備投資に乗り出し、そのための資金を多額の借り入れによって調達していた。29年当時のアメリカではデットデフレーションの初期条件ともいえるover-indebtednessという状況(要因)が現実のものとなっていたわけである。ここにおいて予測と理論がつながった。外れた予測の根拠となった現状認識(アメリカ経済が直面している高い期待収益(配当)率)は大不況を説明するための理論の前提条件(高い収益期待が大規模な(自己資金では賄いきれないほどの)設備投資を誘引し、各経済主体はover-indebtednessの状態におかれることになる)としてしぶとく生き長らえたわけである。

理論に基づく政策提言


Pavanelli論文続き

自らの予測を裏切る形で進行する(“暗黒の木曜日”以降の)株価の下落傾向を前にしてもフィッシャーは依然として(1931年頃まで)楽観的な見解を有していた。

In 1930 and 1931 Fisher remained basically optimistic about the prospects of the American economy and continued to predict the imminent recovery of stock prices. In any case, he affirmed repeatedly, it was not at all inevitable that the crisis in the financial markets would spread to the real economy. The depression, in other words, could be avoided as long as businessmen did not let themselves be dominated by pessimism and did not cut back their production plans.

将来性豊かなアメリカ経済の現状に照らして考えれば早晩株価は元の水準まで回復するだろうし、株価下落が実体経済に波及して不況が到来するなんてことは―企業家たちが株価の下落に過剰反応して悲観的になり、生産(設備投資)計画の縮小・中止に乗り出さない限りは―ありえないことである。

フィッシャーにとって“暗黒の木曜日”が有するインパクトは一時的かつ株式市場にだけ限定されたもののはずであったが、1929年以降株価はなかなか回復傾向を示さずバラ色の未来に彩られているはずのアメリカ経済も時が経つにつれヨリ一層不況の色を濃くしていった。さすがのフィッシャーも現実の(自らの予想を裏切り続ける)展開の前にいつまでも楽観的でいることはできず、この現実を説明し得る全く新しい理論の必要性を感じはじめていた。

1932年、フィッシャーは“Booms and Depressions”という論文を書く(こちらで邦訳されたものが読めます)。眼前に広がる現実(後世において大不況(Great Depressionと呼ばれるようになる現実)を理解するためにフィッシャーなりの理論的な説明―現在ではデットデフレーション理論と呼ばれるもの(の萌芽)―を提示した論文である。以下フィッシャーのデットデフレ理論の簡単な説明。


ここにover-indebtednessの状態に置かれた経済主体が多数存在するとする。そこにバッドニュースが飛び込んできて(株価急落の知らせなど)債権者あるいは債務者(のどちらかあるいはどちらも)が悲観的になり不安感を抱くことによって(債権者は貸付が焦げ付くことを心配して、債務者は負担の軽いうちに債務返済を済ませてしまおうとはやるために)我先にと債務の清算に乗り出したとしよう。すると債務の清算はやがて投売りを引き起こし(購入時の株価以下であっても早めに売却しておいた方がより多くの現金(借金返済の原資)を獲得できる可能性が高いため)、(債権者としての銀行がローンの繰り延べをやめてしまう結果)預金通貨の減少が生じることになる。結果として株価と同時に通貨供給量の低下により物価も下落(自己保有の株式(資産)の売却によっては借金の返済がままならなくなった企業家が倒産を免れるために自分が生産している商品の投売りに乗り出すことよって、といってもよい)していくことになる。株価・物価の下落は負債の実質価値を上昇させて債務者を一層苦しい立場に置き、さらなる投売りそして破産・倒産が続出することになるだろう。また、コスト節約の努力を上回る物価の下落は利潤を圧縮し、over-indebtednessにはない企業にも打撃を与えることになる(破産・倒産件数が増えるにつれて債権者特に銀行は(経営状態に対する(預金者の)不信感からくる取り付けを回避するため)貸付に慎重な態度をとるようになり(貸し渋り)、over-indebtednessにはない企業も事業展開のための資金調達が困難となる可能性もある)。利潤の縮小(倒産も)は生産と雇用を縮小させ、世の中には悲観論や信頼感の喪失(債務者に対する、または銀行に対する不信・いつ解雇されるかわからないという不安・破産や倒産、失業による苦悩など)が蔓延するようになる。こんな時代に頼れるものは貨幣(現金)だけ。流動性選好(=貨幣の退蔵)の結果として貨幣の流通速度は低下し、物価下落はさらにその激しさを増すことになる(倒産や失業(の恐れ)による買い控えの結果ともいえる)。

In essence, the attempt by individuals and banks to reduce their debt touched off a perverse dynamic process that worsened their situation in real terms, dragging them towards financial collapse.

The very effort [...] to pay debt [...] resulted in increasing debts; and the more the American people tried to get out of debt, the more they really got in, when the debts are measured in real commodities

Every man who hoards does it for his own protection; yet by hoarding he aggravates the very condition that started his fear・・・

・・・the effort by each agent to improve his own position led to a worsening of the overall situation

合成の誤謬の一種ですな〜。ミクロ的に見て(個別的な観点からすると)負債の返済のためにできるだけ早いうちに資産の売却に乗り出すこと、あるいは不安を鎮めるために貨幣を退蔵することは(価格の下落を与件とすれば)合理的な反応であるかもしれないが、みんながみんな同じように行動する結果として(物価・資産価格の下落が進行するために)負債の返済は一層難しくなり(負債の実質的な負担が増すため)、不安の源泉たる倒産や失業の恐れから逃れることもかなわないこととなる。はてさてこのミクロとマクロのパラドックスからどうやって抜け出したものか。


フィッシャーによる解決策―デットデフレ理論に基づく処方箋―はというと・・・、

そう、リフレーション―金融緩和により物価を1929年以前の物価水準まで引き上げる―。デフレによる債務の実質的な負担の増加をリフレによって食いとどめ(あるいは物価上昇により生産者の利潤を確保し生産活動の活発化(→雇用の増加)を促せ)、投売り・倒産・失業(利潤低下による生産の低下も)の悪循環を断ち切ってしまえ、というわけである。

Fisher maintained that one of the causes of the collapse of the economy was the Federal Reserve’s abandonment of the stabilisation policy that had been pursued during the twenties by Benjamin Strong, the powerful governor of the New York Federal Reserve Bank, who died in 1928 (Fisher, 1934a10; see also Steindl, 1995, pp. 103-4 and Cargill, 1992). Once the crisis had started, the right way to get out of it was, in his view, “reflation”, in other words a monetary expansion to bring prices back up to their pre-1929 level. Monetary policy, according to Fisher, was extremely effective, while fiscal policy could at best play an “ancillary” role.


株価暴落直後に積極的な金融緩和に乗り出さなかったFRBの非は理解できる。しかし、実際に物価・資産価格がかなりの程度下落してしまっており、既に悲観主義が世の大勢となってしまっている時に金融緩和によって物価上昇を実現することは可能であろうか(=金融緩和の波及経路についての疑問)。貨幣供給を増やしたところでその貨幣はそのまま退蔵されてしまうだけで(あるいは銀行の預金準備が積み上がるだけで)モノや資産の購入には向かわない、それ故物価や資産価格が上昇することはないのではないか。フィッシャーもその点(人々の貨幣退蔵志向の強さ)については認識していた。

“Hoarding is a slowing of currency turnover of the extremest kind. [...] Housewives and their breadwinners then become distrustful of everything except money. Bills and coins are confided to stockings or mattresses, or are put underground, or (in a larger way) stored in safety deposit vaults. Credit deposits may be hoarded too. In such banks as are considered safe, large credit deposits will be kept, but kept idle” (1932a, p. 35). The following passage is also revealing: “To stop hoarding, to take the idle money out from under the mattress, to quicken the turnover of bank deposits are essential parts of the recovery program. We want to re-employ idle money; it will help toward re-employing idle men and idle machines; it will help reflate the price level...” (1933b, p. 5).


貨幣をidleからactiveにするためにはどうすればよいか。そうだ!! スタンプ(ゲゼル)貨幣(あるいは銀行の準備預金に税金をかける)を導入すればよい。

In the second half of 1932, the bleakest period of the Depression, he became a supporter - as a first concrete measure aimed at counteracting the tendency to hoarding - of a plan for “stamp scrip” or “stamped money”

貨幣が退蔵されるのはその価値が保証されている(一定である)ためである(デフレ下ではその価値は高まる)。貨幣の価値が時間が経つにつれて低下する(あるいは貨幣保有にコストがかかる)のがわかっているならば貨幣を退蔵しようという誘因はもはや働かないだろう。一定期間ごとにお金(スタンプ押しに出かけるわずらわしさ、機会費用も含む)を払ってスタンプを押してもらわなければ通用しない貨幣(=スタンプ貨幣)を導入すれば、眠っている(退蔵されている)貨幣も動き出し(=モノや資産の購入に回る)物価や資産価格も上昇することだろう(フィッシャーとスタンプ貨幣の関わりについてはこちら西部忠先生による地域通貨論)も参照。Pavanelli論文でも同じことが触れられてますが)。


スタンプ貨幣の発行はルーズベルト大統領によって禁止されました(理由は上記リンク先をご覧ください)。しかしここで注意すべきはスタンプ貨幣の導入なしにアメリカ経済を救うことはできない、とまではフィッシャーは主張してはいないということです。彼が言いたかったことはつまりはこういうことです。

As we have seen, an essential point in Fisher’s plan was that the increase in demand, while necessary, was inevitably only a first step. To get out of the depression, a substantial rise in prices was also necessary. This point was constantly emphasized by Fisher in his writings from these years:

“The government should have borrowed and spent, thus contributing to reflation and to a higher price level. And every climb in the price level would have lowered the real debts, public and private [...] This would have stimulated business” (1932a, p. 105)

or again:

“An increase of prices means, for the producer, an increase of profits or a wiping out of losses. That in turn means an increase of business activity and a decrease in unemployment. This rise of prices tends to save us from the two great evils of Depression -- bankruptcies and unemployment” (1932, p.10)

どんな手段を使ってでもリフレを実現せよ、ということですね。


他にもいくつか面白い論点(「国際学派」の知見の先取り・マネーサプライのコントロール可能性を高めるための預金準備改革(100%準備率)などなど)はありますが切りがありませんのでここらで終了。

金では買えないもの


The gold standard and the Great DepressionEconbrowser by James D. Hamilton)

Under a pure gold standard, the government would stand ready to trade dollars for gold at a fixed rate. Under such a monetary rule, it seems the dollar is "as good as gold."・・・Except that it really isn't-- the dollar is only as good as the government's credibility to stick with the standard.

・・・A gold standard only works when everybody believes in the overall fiscal and monetary responsibility of the major world governments and the relative price of gold is fairly stable. And yet a lack of such faith was the precise reason the world returned to gold in the late 1920's and the reason many argue for a return to gold today. Saying you're on a gold standard does not suddenly make you credible. But it does set you up for some ferocious problems if people still doubt whether you've set your house in order.


金本位制が円滑に機能するためには平価(=金と通貨との法定兌換レート)が変更されないあるいは政策当局はどんな事態が生じようとも平価維持に尽力するという評判・信用が確立されていなければならない。平価維持のコミットメントが信用されなければ投機アタックによる通貨危機を招きよせる危険が待ち構えている。(何が何でも平価を死守するという意味で)責任ある/信頼ある政府の存在なくして金本位制は機能し得ない。平価維持のコミットメントは通貨に金の縛りをかけることによって自動的に信用されるわけではなく、実際の政府当局による責任ある(=平価維持のためには犠牲(=国内経済の不安定化)も厭わない)行動によって裏付けられるものである。信頼は金(きん)では買えない、ってことですね。まあ、そこまでこだわる必要もないタイプの責任/信頼ですけども(金本位制あるいは固定相場制に固執する理由はありませんから)。

Brad DeLong,“Why not the Gold Standard?”も参照のこと。

洋の東西を問わず


清算主義」的な考えというのはある種の普遍性を有しており、洋の東西を問わず人々を魅了するようである。Krugmanは“The Hangover theory”という論考の中で、オーストリア学派景気循環論の背後に流れる清算主義的な世界観の匂いを嗅ぎ取り、批判を加えている。KrugmanはHangover theoryについて次のようにまとめている。

●不況は景気過熱の対価であり(slumps are the price we pay for booms)、不況で苦しむことは、行き過ぎた経済の拡張に対する欠くべからざる「罰」である(suffering the economy experiences during a recession is a necessary punishment for the excesses of the previous expansion)。

●経済のチャートの上下を(株価の上げ下げやら、GDP成長率の変動やらを)一種の道徳劇―傲慢な振る舞いとその後の転落(お仕置き)の悲喜劇の話として―に読み替えようとする(It turns the wiggles on our charts into a morality play, a tale of hubris and downfall)。


この清算主義的なHangover theoryは1930年代の大恐慌時代に大きな役割を演じた。

Liquidationist views played an important role in the spread of the Great Depression--with Austrian theorists such as Friedrich von Hayek and Joseph Schumpeter strenuously arguing, in the very depths of that depression, against any attempt to restore "sham" prosperity by expanding credit and the money supply.

銀行信用とマネーサプライを拡張させて不況から脱出しようと試みることは、「見せかけ」の繁栄を取り戻そうとしているに過ぎない・・・・・。この主張の背後には次のような考えが控えている。

貨幣の膨張や向こう見ずな銀行貸付、後先考えない企業家の市場進出により投資ブームが手に負えなくなる時がくる。過剰投資の結果として経済に過剰なキャパが生まれ、全く稼動してない工場やテナントの見つからないオフィスがそこらじゅうにあふれ出す。大規模プロジェクトは完成するまでに時間がかかるから、経済の「不健全性」が露わになるまで多少の間は見かけ上の好景気が続くかもしれない。しかし、やがて投資家は破産し、これまで蓄積されてきた資本ストックは無駄で役立たずになる。これから始まる不況は、それ以前の経済の異常な拡張ぶりに比例して厳しいものとなり、「過剰な」供給能力が廃棄され、価格と賃金が異常な高水準から「正常な」水準へと下落し始めることによって、経済は健全な姿を取り戻すことになるだろう。また、失業は肥大化した投資財部門から消費財部門に向けて労働者が移動する過程で生まれる摩擦的なものに過ぎず(失業の大半は生産構造の調整に適応する過程で生じるものであり)、需要刺激策は生産の落ち込みによって労働者を吐き出すべき部門を延命させることで経済の調整過程を先送りしてしまう。経済の調整過程をスムーズに進めるためには無理矢理に景気を刺激するようなことは控えるべきだ。不況は経済が「正常な」姿に戻るために通らなければならないプロセスなのである。


Krugmanはこの議論の難点をいくつか指摘する。ここでは一点だけ取り上げておこう。

過去の無駄で向こう見ずな投資の責任を、なぜ現在の何の非もない労働者が失業という形で引き受けなければいけないの?(nobody has managed to explain why bad investments in the past require the unemployment of good workers in the present.)


最後に、大恐慌期に景気刺激策を採ることを否定した論者へのホ−トレ−の言葉を。

彼ら(ハイエクたち)は、「ノアの洪水の真っ只中で“火事だ、火事だ”と叫んでいるようなものだ」


デフレ下のこの日本において、インタゲつきの量的緩和ハイパーインフレを招くことになる、と主張する(心配の素振りを見せる?)人々に是非とも捧げたい言葉である。

オールド・ケインジアンの言い分


●James Tobin, “Keynesian Models of Recession and Depression(pdf)”(コウルズ財団HPより。Tobinの他の論文も多数存在、CassやKoopmansのラムゼイモデルに関する論文や岩井先生の論文(不均衡動学やら)なんかも読めたりする)。

The real issue is not the existence of a long-run static equilibrium with unemployment, but the possibility of protracted unemployment which the natural adjustment of a market economy remedy very slowly if at all.(p195〜196)

Even with stable monetary and fiscal policy, combined with price and wage flexibility, the adjustment mechanisms of the economy may be too week to eliminate persistent unemployment.(p201〜202)


「長期には、われわれは皆死んでしまっている(In the long run, we are all dead)」。“the private market can and will, without aid from goverment policy, steer itself to full employment equilibrium.”(p196)というような発言(ほっときゃ(市場の調整機能に委ねておけば)そのうち失業問題(不況)も解決されるよ)に対しケインジアンが反論を試みる際に度々持ち出されるケインズの言葉である。

長期的な完全雇用均衡(失業率が自然失業率(NAIRUでもいいが)の水準にある状態)の存在は否定しないけれども、また物価や名目賃金が伸縮的であることも認めるけれども、市場に任せておいただけではその完全雇用均衡にはなかなか到達し得ない(均衡への収束過程が緩慢であり非常に長い時間を要する)かもしれない。最悪の場合、経済は自力で完全雇用均衡に再び戻ることはできないかもしれない。「長期には、われわれは皆死んでしまっている」かもしれないということを説明しようと試みたのがトービンの本論文である。


詳しい議論は直接論文をご覧いただきたいが、ポイントは体系(WKPモデル)が安定条件を満たさない場合(大雑把に言えば、期待インフレ率が(実質)有効需要に及ぼす影響(the price change effect)が物価水準がそれに及ぼす影響(price level effect)を凌駕する場合;局所的には安定であるが大局的には(均衡からの乖離が大きくなるほど)不安定になる)、一度完全雇用均衡から乖離してしまうやいなや経済内部において自動的に均衡へと回帰する力は働かず、当該経済は先の見えない深刻な不況の泥沼に陥ってしまうことになる。政府による景気刺激策だけがわれわれを不況の苦しみから(死なせることなく!!)救うことができる(in the absense of countercyclical policy, the economy could slip into a deep depression(p201))。

price level effectはケインズ効果・ピグー効果・フィッシャーの負債デフレ効果等物価水準の高低が有効需要に及ぼす影響のことであり、the price change effectは期待インフレ率の変化が有効需要水準に及ぼす影響(フィッシャー効果(期待インフレ率の低下が実質利子率を高める等)、フローピグー効果)のことである(詳しくはp.197を見てください)。不況が深刻になる(均衡からの乖離幅が大きい)ほど、例えばデフレを伴う不況の場合においてthe price change effectが安定条件を満たさなくなるほど大きくなる(あるいはprice level effectが弱まる)という。確かに物価の下落はケインズ効果・ピグー効果を通じて有効需要を喚起し不況を緩和するかもしれない。しかし、経済が流動性の罠に陥っていればケインズ効果は限定され、負債デフレ効果によってピグー効果も減殺される。結果として∂E/∂p(price level effect)のマイナス幅は小さくなる。一方、デフレ下において期待インフレ率がマイナスになる、つまりデフレ期待が抱かれるようになると実質利子率が高まることになる。流動性の罠に陥っていれば名目金利がこれ以上低下する余地がなくなり、実質金利は高止まりし続けることになる。高水準の実質金利が放置し続けられることで(トービンのQが低下することを通じて)設備投資や消費の低迷が長引くことになる。∂E/∂x(the price change effect)のプラス幅が高まり(∂E/∂p(price level effect)の影響が弱まることと相俟って)安定条件が満たされない可能性が高まる。

The relevant question is whether deflation will by itself lift the economy from the floor. Will deflation so augment private wealth that consumption rises above its floor level? Clearly this will not happen unless condition (3.4)(安定条件;引用者) is met at the depression income level.(p201)

デフレ下においてあるいはデフレ期待の存在により実質利子率が高止まりしている状態において、安定条件が満たされなくなる可能性が高い。ということは、デフレを伴う不況から脱して力強い景気の回復を現実のものとするためには自然治癒に委ねるよりも何らかの政策的措置を取る必要があるということか。

Foolproof Way


●Lars E.O. Svensson,“Monetary Policy and Japan’s Liquidity Trap(pdf)”(September 2005;スヴェンソンHPより)。


日銀によるゼロ金利政策/量的緩和政策は将来の短期金利の低下予想ないしは長期金利の低下には寄与しているかもしれないが、将来の期待物価水準を十分に高めることには失敗している(=量的緩和政策が長期間にわたって持続する(permanentである)と捉えられていない;将来の期待物価水準が上昇しているならばそれと同程度の(現時点での)円安(減価)が起こるはずなのにその兆候が見られない)。金融政策が名目金利の非負制約に直面している状況(=実質ゼロのオーバーナイト金利)では、既に低い水準にある将来の名目金利予想をさらに低下させるよりも将来の期待物価水準を高めることのほうが実質金利の低下、ひいてはデフレギャップの縮小に大きなインパクトを持つ。日本経済が流動性の罠から脱するためには、日銀と財務省が協調し(将来の期待物価水準を高めることに資する)Foolproof Way*1を採用すべきである。


詳しい内容は後ほど追記するかもしれないけれども、同教授の“開放経済下における名目金利の非負制約:流動性の罠を脱出する確実な方法(pdf)”(IMES Discussion Paper J-Series,2001-J-6;『ポスト・バブルの金融政策』にも所収)と内容的にはそれほど変わらないので(簡略版といったところか)、そちらをお読みください。ってとっくの昔に読んでますかそうですか。ポール・クルーグマン著/山形浩生訳『クルーグマン教授の<ニッポン>経済入門』にも(一部)訳出されて・・・って知ってますかそうですか。


ポスト・バブルの金融政策―1990年代調整期の政策対応とその検証

ポスト・バブルの金融政策―1990年代調整期の政策対応とその検証


クルーグマン教授の<ニッポン>経済入門

クルーグマン教授の<ニッポン>経済入門

*1:物価水準ターゲティング(スヴェンソンによれば、95年以降(実際のデフレではなくて)CPI(生鮮食品を除く)が1〜2%のインフレ率で上昇していたならば到達しているだろう物価水準経路を目標に現実の物価水準経路とのギャップを埋めてゆく。この想定のもとでは2000年時点での両者のギャップは3〜8%になっている。2005年現在では11〜23%。一年ですべて埋める必要はないけど)を設定し、その目標とする物価水準と整合的なレベルに(減価させたうえで)為替レートを一時的にペッグする。現実の物価が目標とする物価水準のパスに到達した後は為替レートペッグを放棄し、(景気過熱リスクやインフレ率の乱高下を回避するために)物価水準ターゲティングないしはインタゲに移行する(=(本来の?)出口戦略)。為替レートペッグの放棄前後では目標とするインフレ率は違ってきますね。