Menzie Chinn 「近隣富裕化政策としての世界同時リフレ 〜回復スピードが二極化する世界におけるリフレーションと支出転換〜」


●Menzie Chinn, “Reflation and Expenditure Switching in a Two Speed World”(Econbrowser, March 25, 2013)

バーナンキがすべてを語ってくれている。

FRB議長であるベン・バーナンキ(Ben Bernanke)が本日(3月25日)LSEで講演を行い、そこで次のように語っている

大恐慌(Great Depression)に関する現代の研究―その流れを生むきっかけとなったのは、バリー・アイケングリーン(Barry Eichengreen)とジェフリー・サックス(Jeffrey Sachs)が共同で執筆した1985年の記念碑的な論文です(注6)―は、金本位制からの離脱がもたらした効果に関して私たちの従来の考え方に変更を迫る格好となりました。金本位制から離脱し、その結果として為替が減価したことで一時的に貿易上で有利な立場を手にすることになったケースもあることは確かですが、大恐慌に関する現代の研究によると、金本位制からの離脱に伴う主要な便益は次の点にあることが示されています。それは、各国が自ら適切だと思うやり方で自由に金融緩和を実施できるようになったことにある、ということです。1935年ないしは1936年までに実質的にすべての主要各国が金本位制から離脱し、その結果為替レートが市場で自由に決定されるようになると、為替レートの変化を通じて貿易が刺激される効果は限定されることになりました。しかし、主要各国が金本位制から離脱して以降の世界経済全体のパフォーマンスは1931年よりもずっと好調な状況を記録する結果となりました。その理由は、各国が金本位制の拘束衣を脱ぎ去ったことにより、自国内における完全雇用を達成するためにふさわしいやり方で自由に金融政策を実施することができるようになったからでした。さらには、貿易相手国の景気が上向くことにより輸出の増加というかたちで恩恵が生じた点も重要です。要するに、関税引き上げ競争とは対照的に、1930年代に実施された金融政策を通じたリフレーションはポジティブ・サムの結果をもたらすことになったのです。その結果は、為替レートの変更に伴う貿易転換(純輸出の増加)を通じてではなく、主要各国における国内需要の増加を通じてもたらされたのです。

このことが現在の状況に対して持つ教訓は明らかです。目下のところ、先進国経済の大半はこの度の大不況(Great Recession)から緩やかに回復しつつある途上―その程度は国ごとに違いがありますが―にあります。概してインフレが安定していることを受けて、各国の中央銀行は経済の回復を下支えするために金融緩和策に乗り出していますが、このような状況を指して「通貨切り下げ競争」(competitive devaluations)と呼ぶことは適当でしょうか? 「ノー」でしょう。というのも、先進国経済の大多数で金融緩和策が実施されているので、先進国間での為替レートには劇的かつ持続的な変化が生じることはないと予想されるからです。主要な先進国で実施されている金融緩和策がもたらす便益は、為替レートの変化を通じてもたらされるわけではなく、それぞれの国内の総需要の下支えを通じてもたらされると考えられるのです。さらに、各国の景気が上向くことになれば、それに伴って貿易相手国に(輸出の増加というかたちで;訳者挿入)好ましいスピルオーバーがもたらされることにもなるでしょう。つまりは、現在先進各国が同時に実施している金融緩和策は「近隣窮乏化」("beggar-thy-neighbor")ではなくポジティブ・サムな「近隣富裕化」("enrich-thy-neighbor")をもたらすと考えられるのです。


(注6)Barry Eichengreen and Jeffrey Sachs (1985), "Exchange Rates and Economic Recovery in the 1930s," (Journal of Economic History, vol. 45 (December), pp. 925-46)を参照のこと。


大恐慌当時において固定為替レート(金本位制)がいかに世界経済に好ましからぬ影響をもたらしたかを思い出してもらうためにも、ここで改めてかの有名なアイケングリーンの図―当時の各国経済のパフォーマンスの違いが一目でわかる図―を掲げることにしよう。


(出典)Eichengreen(1992)(pdf)の図5


個人的には支出転換効果*1をもう少し強調したいところだが、現在先進各国で同時に実施されている非伝統的な金融政策はポジティブ・サムの結果をもたらす可能性が高い、というバーナンキの見立てには私も同意である。私の個人的な見解では、各国の中央銀行が為替の減価を歓迎したとしても*2、最終的には好ましい結果がもたらされることになると思われる。それも(少なくとも先進各国間での)名目為替レートにはほとんど変化が生じないとしてもそうなることだろうリフレーションは物価の上昇をもたらすことになると思われるが、ジェフリー・フリーデン(Jeffry Frieden)ジョシュア・アイゼンマン(Joshua Aizenman)との共同研究を通じてこれまで私自身指摘してきたように、リフレを通じた物価の上昇は大規模な産出ギャップを長らく抱え続けている経済に対して(例えば、債務の実質的な負担を軽くしたり、信用制約を和らげるなどの経路を通じて)好ましい効果を持つことだろう。実際のところ、ここにきてインフレ期待は(ポール・ライアンが恐れるような水準にまでは達していないとしても)わずかながらも上昇しているようである。以下にドイツ銀行の調査結果を掲げておこう。


(出典)Hooper, Mayer, and Spencer, “Staying the Course on a Sea of Central Bank Liquidity,” World Outlook (Deutsche Bank, 22 March 2013) [not online].


以前にも指摘したことだが、あらゆる国でインフレが加速する必要はないだろう。というのも、現在世界経済においては景気回復のスピードの面で二極化が生じており(新興国では急速なスピードで景気回復が進行している一方で、先進国では景気回復のスピードが鈍かったり、あるいは景気回復がまったく生じていないケースもある)、それゆえインフレに伴う便益は地域ごとに違いがあるからである。具体的には、アメリカやユーロ圏、そして特に日本ではインフレの上昇が必要とされていると言えるだろう。さらに、為替レートに関する私の指摘もあらゆる国にあてはまるわけではない。景気回復のスピードの面で二極化が生じていることを考えると、新興国の通貨は増価の方向に、先進国の通貨は減価の方向にそれぞれ向かうのが望ましいと言えるだろう。以下の図にあるように、実際にもある程度そのような方向に向かいつつあるようである(ただし、ユーロに関しては間違った方向に向かいつつあるようだが)。


Figure 1: BISのデータ(Broadベース)をもとに算出した実質実効為替レート(対数値、2010年の実質実効為替レートを0とする);アメリカ(青)、イギリス(赤)、ユーロ(緑)、日本(紫)、中国(オレンジ)

このエントリーでも論じたように、日本の為替レート(円)はここのところ大きく下落している。また、イギリスの為替レート(ポンド)も最近になって下落傾向を見せているが、「拡張的な財政緊縮」とやらの効果がまったく生じていないことを考えると、この動きは好ましいことだと言えるだろう。対照的に、中国の為替レート(元)はここのところかなりの増価を見せているが、それにもかかわらず、特に新興国の通貨に対してさらなる調整が依然として必要だと考えられる。


<まとめ>

エントリーの冒頭でも示唆しておいたように、バーナンキが講演の結論で語っていることに私が付け加えるべきことは何もない。

本日の話をまとめるとこういうことになります。目下のところ、先進各国では、自国の景気回復を促し、物価の安定を保つために、適切にも金融緩和策が実施されている最中です。大恐慌に関する現代の研究が明らかにしているように、そのような政策は世界経済全体に(ネットで見て)便益をもたらすことでしょう。先進各国で同時に実施されている金融緩和策をゼロ・サムないしはネガティブ・サムな貿易転換政策と同一視すべきではありません。実のところ、先進各国で同時に実施されている金融緩和策は互いに補強し合う可能性があり、その結果として関係するすべての国に便益をもたらし得るのです。

あえて何か付け加えるとすれば、先進国経済において(中でもユーロ圏において)、金融緩和に向けた行動が今よりももっとずっと積極的に推し進められるべきだ、ということくらいである。

*1:訳注;貿易収支を改善する効果=純輸出を増加させる効果

*2:訳注;金融緩和を通じて為替の減価を意図的に引き起こそうと試みたとしても

サムナー 「臆病さという名の罠」


●Scott Sumner, “Nothing to see here folks, move right along”(TheMoneyIllusion, April 4, 2013)

多くの著名なマクロ経済学者や経済専門家、ブロガーの口々から「FedBOE、ECBにはもはや打つ手がない。だからこそ財政刺激策が必要なのだ」との主張が発せられているが、ここのところの日本経済の動きは彼らの主張の間違いを証明し続けている

黒田東彦氏が3月20日に新しい日銀総裁に就任して以来初めて開催される金融政策決定会合は、黒田総裁がリーダーシップをとって(1月に採用されたばかりの)「物価安定の目標」の達成に向けて非伝統的な手段に踏み出すよう日銀を促すことができるかどうかを試す大きなテストの機会と見なされていたが、本日の決定会合の結果をマーケットは好感したようである。

本日の決定会合後、国債先物価格は急上昇し、新発10年物国債の流通利回りは過去最低の0.425%にまで低下した。また、会合前は上昇を続けていた円は会合の結果を受けて下落することになった。円は会合前の1ドル=92円90銭から1ドル=95円25銭へと2%以上の円安を記録したのである。

さらに、日経平均株価終値は前日比2.2%の上昇を見せ、先月つけた4年半ぶりの最高値に接近することとなった。

本日の決定を受けて今後日本銀行は(グロスで見て)毎月7兆5000億円のペース−これは毎月の国債発行額の7割にあたる−で長期国債の購入をすすめる格好となる。今後は「資産買入等の基金による長期国債の買入れ」と「金融調節上の必要から行う国債買入れ(輪番オペ)」とを統合した上で、40年債を含む長期国債の買い入れが実施される見込みとなっている。

会合の結果が発表される直前に株価が大きく下落したことを考えると、株価は会合後に4%以上上昇したことになる。確かに決定の方向性に関しては予想された通りではあったが、債券の購入額が予想以上であったこともあり、マーケットは上の記事で指摘されているような反応を見せることになった。今日のマーケットの動きだけではなく昨年の11月半ば以降の株式市場の動向、つまりは、安倍晋三氏が政権奪取をかけて選挙戦を戦う中で2%のインフレ目標を掲げてマーケットにショックを与えて以降の株式市場に何が起こったかに着目した方が適当であるかもしれない。昨年の11月半ば以降、日本の株価は45%の上昇を記録しているのである。加えて、昨年の11月半ば以降、円はドルに対しておよそ20%も安くなっているのである。

今後日本銀行の政策が「機能する」かどうかをめぐって議論が巻き起こることだろう。しかし、日本銀行の政策はもう既に機能しているのである。今回の決定を受けて円は急落したが、もし経済が「流動性の罠」に陥っているとしたらそのようなことは起こるはずがない。ここのところの日本経済で生じている現象は、不換紙幣を発行する中央銀行が自らの「臆病さ」(timidity)以外の何ものかによって「罠に嵌る」ことなど決してない、ということのさらなる証拠であると言える。仮にインフレーションが2%にまで上昇することがなければ、何度も何度も何度も何度も繰り返し(果断な金融緩和を)試せばよい。円ドルレートが1ドル=200円になってもインフレーションは生じないだろうか? 果たして1ドル=400円になったらどうだろうか?

(以下略)

「15年ものタイムロス−ついに聞き入れられたフリードマンのアドバイス」


●Lars Christensen, “15 years too late: Reviving Japan (the ECB should watch and learn)”(The Market Monetarist, April 4, 2013)

これまで過去15年にわたって日本銀行はデフレ的な政策(deflationary policies)を推し進めてきたが、その日本銀行が今や進路をはっきりと変えつつあるようだ。このことは本日開催された金融政策決定会合の内容を見れば誰の目にも明らかだろう。今回の決定に関しては「極めてよいニュースだ」という言葉以外に何と書いたらよいものかこれといってうまく思い付かない。今回の日本銀行の決定は日本にとっても世界経済にとっても好ましく、また、教科書通りの金融緩和策であると言える。あえてマイナス面を挙げると、ターゲットが名目GDPの水準ではなくインフレ率に置かれている点ということになるだろうが、ともかく、今回決定された金融政策はうまくいくだろうし、それもすぐに効果が表れるだろうと個人的には強く確信している。

さて、ここでミルトン・フリードマンMilton Friedman)に賛辞を送ることにしよう。以下はミルトン翁が1998年に執筆した論説“Reviving Japan”(「日本経済の再生に向けて」)からの引用である。

堅調な景気回復を促す上で最も確実な方法はマネーサプライの伸び率を高めることにある。言い換えると、金融政策を現在のタイトな(引き締め気味の)状態から緩和の方向へと転換し、マネーサプライが1980年代の黄金時代においてとほぼ同じペースで−あまりにも行き過ぎないように注意を払いつつ−成長するよう図ることにある。もしそうなれば、現在大いに必要とされている金融制度や経済制度の改革も一層容易に進めることが可能となるだろう。

日本銀行の擁護者はおそらく次のように語ることだろう。「貨幣量を増やせと言いましても、具体的にはどうやればよいのでしょうか? 日本銀行はもう既に公定歩合を0.5%にまで引き下げています。貨幣量を増やすために他に何ができると言うのでしょうか?」、と。

その答えは至極簡単なものだ。日本銀行は公開市場で国債を購入する(買いオペを行う)ことができる。その購入代金は現金通貨あるいは日本銀行における預金(準備預金)−経済学者がハイパワードマネーと呼ぶもの−のかたちで支払われることになるが、購入代金の大半は民間銀行の準備預金として積み増されることになるだろう。準備預金が増えると、民間銀行は貸出や債券の購入を増やすことが可能となるが、その過程で(信用創造を通じて)預金通貨が増加することになるだろう。しかしながら、民間銀行がそのように行動するかどうかに関わらず、ともかくマネーサプライは増加することになるだろう。

日本銀行がマネーサプライを増やす能力には限界はなく、日銀が望めばどれだけの規模であろうともマネーサプライを増やすことができる。マネーサプライの伸び率が上昇するといつでもどこでも次のように同じような効果が表れることになるだろう。(マネーサプライの伸び率が増加してから)大体1年ほどして経済は一段と速いペースで拡大することになるだろう。まずはじめに産出(実質GDP)が増加し、それからしばらくしてインフレーションが緩やかながら上昇することになるだろう。

1980年代後半の状況に立ち戻ることで、日本経済の再生が促されるとともに、その他のアジア諸国経済の立て直しがサポートされることになると期待されるのである。


次に本日開催された日銀の金融政策決定会合の内容(pdf)(訳注;日本語版はこちら(pdf))の一部を以下に引用しよう。

この方針のもとで、マネタリーベース(2012年末実績138兆円)は、2013年末には200兆円、2014年末には270兆円に達すると見込まれる。

毎月の長期国債グロスの買入れ額は7兆円強となると見込まれる。

日本銀行は、消費者物価の前年比上昇率2%の「物価安定の目標」を、2年程度の期間を念頭に置いて、できるだけ早期に実現する。このため、マネタリーベースおよび長期国債ETF保有額を2年間で2倍に拡大し、長期国債買入れの平均残存期間を2倍以上に延長するなど、量・質ともに次元の違う金融緩和を行う。


フリードマンが先のアドバイスを送ってから15年が経過しているが、ついに日本銀行フリードマンのアドバイスを聞き入れたわけである。日銀による今回の決定は日本経済の再生に大いに寄与するに違いない。ところで、日本銀行フリードマンのアドバイスを聞き入れたというにとどまらない。その実、日本銀行はマーケット・マネタリストのメッセージーチャック・ノリス効果に訴えよ−も聞き入れた上で、期待の管理にも乗り出しているのである。黒田総裁、グッジョブ!!

最後に、ECB総裁であるマリオ・ドラギ(Mario Draghi)宛てのメッセージで締め括ることにしよう。ドラギ総裁、もしあなたがユーロ危機を収束させたいのであれば、日本銀行の今回の決定をコピー&ペーストするだけでよい。あなたがた(ECB)が掲げているインフレ目標は日銀と似たようなものなのだから、そう難しい話でもないだろう。

「デフレ克服に向けて―黒田日銀新体制最初の一歩」


●Matthew Yglesias, “BOJ's Kuroda Vows To Use "Every Means Available" To Fight Deflation”(Moneybox, April 4, 2013)

本日、黒田東彦総裁率いる日本銀行新体制下で初めての金融政策決定会合が開催され、安倍晋三首相が掲げる2%のインフレ目標(消費者物価で見て前年比上昇率2%の「物価安定の目標」)を達成するために、マネタリーベースを2倍に拡大するプランが発表された。中でも特に興味深いのは決定会合後の記者会見の場で黒田総裁が語った次の発言である。「これまでのように漸進的に少しずつ量的・質的に緩和を拡大するやりかたではデフレ脱却を達成できない。デフレ脱却を実現するためには現在取り得るあらゆる手段を動員する必要がある」。

脅し文句(tough talk)とも言えるこの発言は、期待への働きかけを意図した金融政策の推進を後押ししてきた人々―私自身もそうだが―がこれまで(セントラルバンカーの口からこの種の発言が飛び出さないものかと)待ち望んできた類のものである。期待への働きかけを意図した金融政策の支持者に対しては「お前らは反証不可能な主張を行っている」としてこれまで批判がなされてきたが、その批判は正しいとは思わない。今回黒田総裁は確固たる無条件のコミットメントに乗り出す格好となった。単にマネタリーベースを劇的に拡大するというだけではない。マネタリーベースの劇的な拡大が(金融市場調節の適切な操作目標としてマネタリーベースに着目する、という政策転換と結び付けられているというのではなくて)物価安定の目標を達成するために『「現在取り得るあらゆる手段」を動員する』との保証と劇的なかたちで結び付けられているのである。日本銀行による今回の決定を受けても今後の日本の物価水準の見通しを上方修正しない人間がいるとすれば、こう言うしかない。「あんたバカぁ?」、と。

今や問題は、このインフレ的な政策(inflationary policies)によって−実体経済が拡大するとすれば−どの程度実体経済の拡大につながるか、という点にある。


(追記)
●“「量的・質的金融緩和」の導入について(pdf)”(日本銀行、2013年4月4日)

グローバリゼーション反対の理由 〜自己利益と・・・〜


●Tyler Cowen, “Culture in the Global Economy(pdf)”(The 2000 Hans L Zetterberg Lecture, City University Press

以下、pp.48〜49より抜粋訳。

質問:多くの人々がグローバリゼーションに反対する理由はグローバリゼーション(≒貿易の自由化)の進展によって自らの経済的な利益が損なわれることになるからではないのでしょうか?

コーエン:その指摘には私も同意するところですが、ただそれだけではパズルが解決されることになるとは思いません。確かに多くの人々は自己利益に基づいてグローバリゼーションに反対しています。しかし、グローバリゼーションに反対する多くの人々の中には学者も含まれています。彼ら学者はテニュア(終身在職権)を持っており、収入も固定(安定)しています。核による大虐殺なんかが起これば別ですが、そうでなければどんなことが起ころうと(グローバリゼーションが進展しようがしまいが;訳者挿入)彼らの状況は変わりません。彼ら学者はグローバリゼーションを巡る問題について真剣に考えています。彼らの多くは思慮に富んでおり誠実でもあります。そしてそんな彼らはグローバリゼーションのことがお嫌いなようです。どうして彼らは(グローバリゼーションの行方次第で自らの経済的な利害が左右されるわけでもないのに;訳者挿入)グローバリゼーションに反対するのでしょうか? 多くの人々が自己利益に基づいてグローバリゼーションに反対しているのは事実だとしても、(グローバリゼーションに反対する)それ以外の理由もあるのではないかと私には思えるのです。そしてグローバリゼーションへの反対が強固なものとなるのは、自己利益に基づく反対と道徳的ないしは感情的な反発とが手を取り合う時なのです。多くの人々をしてグローバリゼーションへの反対に向かわせている自己利益以外の要因についてもっと深く理解する必要があるのではないかと私は考えています。


(追記)「多くの人々をしてグローバリゼーションへの反対に向かわせている自己利益以外の要因」の一つとしては、文化ないしは伝統の保存といった要因を挙げることができるかもしれない。つまりは、グローバリゼーションは各国に固有の(あるいは独自の)文化を破壊し、文化間の同質化を迫るものであり、我が国固有の文化を守るためにもグローバリゼーションの流れに抗う必要がある、という反対論である。このような反グローバリゼーションに対する反論としてはコーエンの以下の本をお勧めする。

創造的破壊――グローバル文化経済学とコンテンツ産業

創造的破壊――グローバル文化経済学とコンテンツ産業

「尾の振り方」を学ぶためイギリスへ向かう+クルーグマンインタビュー


ハワイで長いバカンスを満喫されていたご様子のレギュラー先生が「リフレ摘発」のニュースに驚いて一時帰国。勘違いだったとわかるや、すぐさまイギリスに旅立たれました。イングランド銀行の新総裁に就任予定のカーニーに「尾の振り方」を学ぶためだそうです。短時間でしたが、久しぶりに先生とお話することができましたので、その時の会話の様子を記憶している範囲で再現します。


○「尾が犬を振る」

"The tail wages the dog"っていう表現があるワンね。「尾が犬を振る」という意味ワンね。金融政策の文脈では、政策短期金利(尾)の上げ下げが実体経済(犬)に影響を与える、ということを指すワンね。

"The tail wages the dog"っていうのはトービンが好んで使う表現ワンね。例えば、この論文のpp.19にあるワンねつ

●James Tobin, “Monetary Policy: Recent Theory and Practice(pdf)”

「尾が犬を振る」という表現は、政策短期金利の操作を通じた金融政策が実体経済にどうして影響を及ぼすことになるのか、その摩訶不思議さを表現しているワンね。

民間銀行の間でなされるごく短期での貸し借りに課される金利(無担保翌日物金利)の上げ下げがどうして一般家計の消費とか企業の投資なんかにまで影響を与えることになるの? 不思議な話だね。・・・という思いが表現されているワンね。

先のトービンの論文では日本経済のことも話題になってるワンね。短期金利が実質的にゼロ%にまで下がった状況を指してトービンは「流動性の罠」と表現しているワンけど、尾を振る余地がない状況とも言えるワンね。

尾を振る余地がない状況で中央銀行に何ができるか、という話(pp.19〜)ワンね。何もできないよ・・・と白旗を振るのではなく、そういう状況だからこそ革新的な発想と大胆な行動が必要だ、とトービンは語っているワンね。

具体的には、満期が長めの資産を買うもよし。かつて日本銀行は株式市場に介入したことがあるけど、今再びそういった大胆な行動(=株式を買い入れの対象とする)に出るのもよし。・・・とトービンは語っているワンね。

そして、これが面白いワンけど、革新的な発想に立って、物価連動国債を買い入れるのもありかもしれない、と語っているワンね。物価連動国債は普通の債券と比べると財やサービスに近くて、それゆえ物価連動国債の買い入れは大きな景気刺激効果を持つかもしれない、と語られているワンね。

尾を振って経済を左右する術を学ぶために・・・イギリスにでも行ってくるワン。この場合の「尾」は政策短期金利という意味ではなく、文字通り私のこの「尾」のことワンね。カーニーならそのヒントを与えてくれそうな気がするワンね。

非伝統的な金融政策の道具箱の中身が空っぽになってしまう最悪の事態を想定しておく必要があるワンね。「チャック・ノリスの睨み」があれば十分だろうワンけど、彼って女たらしワンからね。肝心な時にデートで忙しいなんて恐れがあるワンね。万一の事態に備えて「尾の振り」を鍛えておくワン。

グズグズしていられないワンね。出発ワン。カーニーから色々盗んでくるワン。


○イギリスの金融政策界隈の下調べ

まずは下調べが必要ワンね。情報収集ワン。

弾力的なインフレ目標、現時点で最も効果的な金融政策の枠組み=カーニー次期英中銀総裁(ロイター、2013年2月8日)

弾力的なインフレ目標、カナダと英国にとり最良の政策アプローチ=カナダ中銀総裁(ロイター、2013年2月13日)

●Svenja O’Donnell & Simon Kennedy, “Carney Backs BOE Evolution Over Revolution in Favoring Guidance”(Bloomberg, February 8, 2013)

イギリス議会の公聴会でのカーニーの受け答えはこれワンね。つ 

Dr Mark Carney's answers to the Treasury Committee's questionnaire published


カーニー以外にも「ヘリコプター・ベン」ならぬ「ヘリコプター・アデール」っていう話題もあるワンね。日本の金融庁にあたるFSAの長官アデール・ターナーがヘリコプターマネー提案を行っているとかいう話ワンね。

「ヘリコプター・アデール」の話題はこれワンね。つ

●Anatole Kaletsky, “A breakthrough speech on monetary policy”(Reuters, February 7, 2013)

ターナーさんは昔から似たような提案をしていたみたいワンね。かつてドーアが紹介していたワンね。つ 

ロナルド・ドーア声なき声になったデフレ退治論」(RIETI ポリシーディスカッション, 2003年12月9日)


イギリスにはTim Congdonもいたワンね。Congdonは「イギリスのマネタリスト」ワンね。

Articles By Tim CongdonStandpoint.)

スコット・サムナーがTim Congdonの著書 『Money in a Free Society』の書評をしてるワンね。つ

●Scott Sumner, “Money’s Masterminds”(The American Conservative, January 5, 2012)


イギリスのマーケット・マネタリストと言えば、Britmouseがいるワンね。今後は彼のブログも細かくチェックするワン。つ

●Britmouse, uneconomical〜Random comments on UK economics


忙しいイギリス滞在になりそうワン。


クルーグマンインタビュー

そう言えば、イギリス到着後のことで私は視聴できなかったワンけど、2月12日に放送されたNHKのBizプラスクルーグマンがインタビューに答えていたみたいワンね。

飯田香織キャスターがインタビューの概要の文字起こしをブログにアップしてくれているワンね。ありがたいワンね。

そのうちどなたかが全部訳してくださると思うワンけど、一部だけ突貫訳を試みてみるワン(追記;anomalocaris89さんがインタビューをすべて訳してくださってるワン(2013年2月22日))。

■白川総裁が3月に退任することになりました。後任の総裁に必要な資質とは何だと思いますか?

クルーグマン:そうですね。「これぞセントラルバンカー」という感じではない人物がふさわしいかもしれませんね。具体的に誰となると私にはわかりませんが、そうですね、「物価安定(訳注;あるいはインフレ退治)は1970年代の戦いだ」と大っぴらに語るのも厭わない人物ということになるでしょうね。物価安定というのは現在私たちが直面している問題ではありません。現在私たちは幾ばくかのインフレを必要としているのです。金融緩和策が必要なのであり、景気回復の妨げになるほどまでに日銀の独立性を守ることに神経質になる必要はないのです。そうですね・・・、可能であればイングランド銀行総裁に就任予定のカーニー氏を新総裁に迎えるべきだったのかもしれないですね。正真正銘のアウトサイダーを総裁に迎えて大きな変化を引き起こすのがいいのかもしれません。それがだめでも、「今は置かれている状況が違うのだ。関心の置きどころを変える必要があるのだ。」とおおっぴらに語る気のある人物ということになるでしょうね。」

■日銀の独立性が脅かされたという指摘についてはどう考えます?

クルーグマン;そうですね、日銀の独立性が弱められつつあるのは事実だと思います。政策スタンスを変えるように日銀は多かれ少なかれ政府から圧力を受けています。でも、それはいいことじゃないでしょうか。中央銀行の独立性というのは侵してはならない神聖な原則のようなものではありません。中央銀行の独立性というのは、インフレーションが大きな問題だった時代にインフレを抑制するために発展してきた戦略の一つなのです。そして、現在の状況においては中央銀行の独立性こそが問題の一つなのだ、ということが判明してきました。過去の歴史を振り返ってみますと、中央銀行の独立性を掘り崩すことこそがまさに必要とされていたようなケースを見出すことができるでしょう。

例えば、1930年代のアメリカのケースだと、金本位制から離脱して、Fedの意思に関わらず(Fedが好むと好まざるとにかかわらず)Fedが緩和モードに移行するよう強いることが非常に重要なポイントでした。

1930年代の日本における高橋是清の例なんかに目をやると、(当時の状況においては;訳者挿入)中央銀行の独立性を取り除くことは実のところ好ましいことでした。中央銀行の独立性が損なわれるとまずいことになる、という発想は間違っています。状況が違うのです。」

最後は「状況が違うのです」というよりは「置かれた状況の違いを認識する必要があるのです」って感じのほうが適当かもしれないワンね。中央銀行の独立性が問題の解決策の一つとなることもあれば、問題を解決する上での障害となる(中銀の独立性自体が問題の一部となる)こともあるということワンね。


(追記)

○「通貨戦争」

次期FRB議長は・・・スタンレー・フィッシャー!! なんてこともあるのかもしれないワンね。つ 

●Dylan Matthews, “Stan Fischer saved Israel’s economy. Can he save America’s?”(Wonkblog, February 15, 2013)

フィッシャーは今年の6月いっぱいでイスラエル中銀総裁を辞任するみたいワンね。それにしても他にもイェレンだとかクリスティーナ・ローマーだとか議長候補が豪華で羨ましい限りワンね。

イスラエルはおよそ25%の為替の減価(シケル(イスラエルの通貨)がドルに対しておよそ25%減価)でこの度の金融危機を乗り切ったらしいワンけど、記事にもあるように小国ならではの方法ワンね。他の国からあんまり不満が出ないワンからね。小国の強みを生かした方法とも言えるワンけどね。

この記事に関してはクルーグマンもフォローしているワンね(追記;この記事もanomalocaris89さんが訳してくださってるワン)。つ

●Paul Krugman, “Stanley and the Crazies”(The Conscience of Liberal, February 17, 2013)


イスラエルのような小国との間の為替レートではなく円ドルとかの為替レートの話になるとすぐに「通貨戦争だ!!」ってなるワンからね。クルーグマンも「通貨戦争をめぐる混乱」の中で語っているワンけど、「現在我々が恐れなければならない唯一のものは恐れそのものなのだ。」って話ワンよね。


「通貨戦争」の話題で言えば、Matthew O'brienのこの記事もよかったワンね。つ

●Matthew O'brien, “Currency Wars, What Are They Good For? Absolutely Ending Depressions”(The Atlantic, February 5, 2013)

締めの言葉がクルーグマンと似ているワンね。「我々が恐れねばならない唯一のものは通貨戦争の恐れそのものなのだ。この戦い(通貨戦争)で犠牲になるのはせいぜい不況くらいのものだ。」

この戦い(通貨戦争)で犠牲になるのはせいぜい不況くらいのものだ=通貨戦争でどの国も景気が上向く、ということワンね。


エコノミスト誌のこの記事もよかったワンね。アイケングリーンの最新論文(pdf)(追記;このアイケングリーン論文も訳されてるワンね。道草で227thdayさんが訳出してくださってるワン)が広範に参照されてるワンね。つ

●Greg Ip, “Positive-sum currency wars”(The Economist, February 14, 2013)

「通貨戦争をめぐる混乱」+α


●Paul Krugman, “Currency War Confusions”(The Conscience of Liberal, February 15, 2013)

所々こちらで勝手に言い回しを変えているところがあるのでご注意を。

最近話題になっている「通貨戦争」(“currency war”)についてどう思うかと尋ねられることが多いのでここで私の立場を明らかにしておこう。私の見解はこうだ。「通貨戦争」をめぐって世間で語られていることは思い違いに満ちており、政策担当者がその議論を真剣に受け止めてしまうと非常にまずいことになるだろう。

まずはじめに、多くの人々が過去の(歴史上の)通貨戦争について抱いている認識は正しくない、という点をおさえておく必要があろう。1930年代に世界経済を襲ったとされる悪循環を説明するために「保護主義」(protectionism)と「通貨切り下げ競争」(competitive devaluation)とが一緒くたにされて持ち出されることが多いが、これまでにバリー・アイケングリーン(Barry Eichengreen)が何度も指摘している(邦訳はこちら)ように、この2つ(保護主義と通貨切り下げ競争)は手を携えて進むわけじゃない。A国とB国が互いに報復的な関税引き上げに乗り出す場合は、最終的には貿易の縮小という結果がもたらされることになるが、A国とB国がともに通貨切り下げに乗り出す場合は、最悪でも通貨切り下げに乗り出す前と何も変わらない結果に終わるだけだ。

実際のところは、現在「通貨戦争」と呼ばれている出来事はほぼ確実に世界経済にとって(ネットで見て)プラスの効果を持つことだろう。1930年代において「通貨戦争」がプラスの効果を持ったのは、「通貨戦争」に乗り出すことは各国が金の足かせから自由になることを意味したからである。金本位制から離脱することで、各国は自由に金融緩和策を実施できるようになったのである。一方で、現在の状況に関していうと、金の足かせはもはや問題ではないが、日本やアメリカ、イギリスといった国々が金融緩和策に踏み出そうと試みる中で、その副産物として為替の減価が生じる結果となっているわけである。拡張的なマクロ経済政策はまさに世界が必要としている行動であり、一体どこにまずいところがあるのだろうか?

確かに、ヨーロッパ各国は(ユーロ高に伴う;訳者挿入)競争力の低下を気にかけるかもしれない。しかし、対応策はある。ヨーロッパも他の先進国を真似て、ECBに緩和の流れに加わるよう*1促せばよい。それにユーロの過大評価に対する恐れがECB内のタカ派の立場を弱めるようなことにでもなれば、それは誰にとっても好ましいことだと言えよう。

こと為替の減価に関していうと、現在我々が恐れなければならない唯一のものは恐れそのものなのだ。


(追記)文中にアイケングリーンが出てきたついでに。「通貨戦争」の問題をめぐるアイケングリーンの最新の論文。

●Barry Eichengreen, “Currency War or International Policy Coordination?(pdf)”(January 2013)

1930年代=あらゆる国がデフレ的なショックに見舞われた状況、現在=デフレ的なショックに見舞われた先進国と(デフレ的なショックに直面しているというよりは)むしろ景気過熱気味な新興国とが併存する状況、という環境の違いをおさえた上で、それぞれのケースでファーストベストの政策対応は何か*2、という問題に検討を加えるとともに、どちらのケースにおいても歴史的・イデオロギー的・政治的な要因のためにファーストベストではなくセカンドベストの政策対応が採られた事実*3が指摘されている。加えて、各国間で政策協調を図ることが理論的には望ましい効果を持つとしても、歴史的・イデオロギー的・政治的な要因のためにその実現が不可能となった点も指摘されている。

In the 1930s, when the countries concerned all experienced an essentially symmetric deflationary shock, what are now referred to as currency wars were part of the solution, not part of the problem. Reflationary policies were needed all around. Under the institutional circumstances of the time, these were achieved by depreciating currencies against gold and hence against the currencies of other countries still on the gold standard. By the second half of the 1930s, global reflation was underway as a result of what was essentially a full round of these so-called beggar-thy-neighbor exchange rate changes and the policy initiatives they made possible. International coordination of these increases in the domestic price of gold would have been better to the extent that it limited uncertainty and international recrimination. Whether the difference would have been large or small is an open question. More concentration on the first-best monetary measures appropriate for countering deflation and less recourse to second-best interventions such as trade and capital controls would have been better still. But binding political, ideological and historical constraints prevented some countries from resorting to first-best measures. That in turn made effective international coordination impossible to achieve.

In the recent episode, when the U.S., the Eurozone, the United Kingdom and Japan once again all experienced broadly similar deflationary pressures, quantitative easing bringing about some currency depreciation was again an appropriate symmetrical response. More focus on first-best monetary measures would again have been better, and international coordination of monetary easing might again have reduced uncertainty, although how much difference this would have made is, once more, an open question.

The difference in the recent episode is the presence of a second group of economies that were not affected symmetrically. Emerging markets were worried about inflation rather than deflation and about currencies, asset prices and, in some cases, growth rates that were too strong rather than too weak. Their first-best response was fiscal tightening. International coordination of monetary easing in the advanced countries with fiscal tightening in emerging markets would have been better, although once again how much better is a matter for debate. More concentration on first-best fiscal measures appropriate for countering over-strong demand, overheated growth, overvalued currencies and inflation and less recourse to second-best interventions like trade and capital controls, this time too, would have been better still. But once again binding political constraints prevented full recourse to first best measures. And once again they made effective international coordination impossible to achieve.(pp.6〜7)

*1:訳注;さらなる金融緩和に踏み出すよう

*2:1930年代におけるファーストベストな政策=金本位制から離脱した上で、平価切り下げと金融緩和に臨む/現在におけるファーストベストな政策=(先進国)非伝統的な金融緩和策の推進+(新興国)財政引き締め

*3:1930年代=(この論文では詳しくは語られていないが、おそらくは金本位心性なるイデオロギー的な信念のために)すべての国が速やかに金本位制から離脱したわけではなく金本位制にしばらくとどまり続けた国もあり、そういった国は資本規制や貿易制限といったセカンドベストの政策を採用した/現在=政治的に不人気な手段ということもあり、新興国は財政引き締めに臨むのではなく、貿易制限・資本規制・金融緩和による金利引き下げ・為替介入などセカンドべストの政策に乗り出した